クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

あそこはいつも、そうなのよ。

水切りヨーグルトを作ったときにできるホエー(乳清)。栄養豊富とどこかの料理本が教えていたので、時にはスープや味噌汁に使っていたりしたけれど、思いつきでチャイを作るときに使ってみたら、クソまずかった。

 

チャイには向いてなかったけれど、ホエーと牛乳を混ぜて加熱すると、カッテージチーズのようなものができることがわかった。

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400グラム入りのカップヨーグルトから、水切りヨーグルトを作ったときにできるホエーがほぼ200㏄(1カップ)。同じく1カップ(200㏄)の牛乳と合わせて吹きこぼれないように加熱すると、大体80グラムのカッテージチーズ状のものができた。

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ほぼ無味無臭。なんたってカッテージチーズだから。はちみつや甘いシロップをかけておやつのようにして食べると、小腹しのぎにちょうどいい。グリーンサラダにちょっとボリュームが欲しいときのトッピングにもいいし、しょうゆや鰹節をかけると和風の口直しになる。

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栄養豊富かどうかよりも、もしかすると家庭で水切りヨーグルトを作ったときにできるホエーをそのまま流しに捨てられるよりも(水質悪化の可能性?)、利活用してねということだったのかもしれない。

 

水が豊富で渇水に悩まされたことがないと、水をジャブジャブ使ってもヘーキで水源から遠いと水源のことを気にかけることも少なくなる。利活用の術に長けているのは、常に渇水に脅かされている方で、例えばエベレストのような高山を登るのに、現地調達はできないから自分たちで用意したもので何とかしようとすると、そりゃ大事に使う。

 

水が合う合わないというのはきっとあり、合わない水に遭遇して初めて合わない水が世の中にもあることを知り、“個性のない無個性な水”例えば水道水のようなものが重宝されるのかも。かもかも。

 

居心地の悪さもエキゾチックさも払拭されてキレイになった場所は、無個性な水道水のようなものこそ重宝される場所で、無個性な水道水が重宝されるのは多数の人にとって安全で無害だから。

 

いきなり飛び込むと法外な値がつくのは安全かつ無害だからでもあって、安全かつ無害を求めて法外な値も気にせず負担して飛び込んで来るのは、言ってみれば経済移民や投資移民のようもの。

 

経済移民や投資移民と呼んでも差し支えないような人たちが、往々にして仕事や交友関係で出身地との縁を切らさないようにするのは、豊かさを途切れさせないためのバッファーで、何らかのアクシデントで豊かさを維持できなくなった時のための用心なんだと勝手に思ってる。

 

豊かさを背負って飛び込んできたはずのものが豊かではなくなり、コストがより安くつく出身地その他に出戻ろうとしても戻れないとき。そもそも豊かさを背負って華々しく登場し、華々しいだけに反感も買っていただろうことが容易に想像できる場合、そもそも安全かつ無害な地で地味~に地道に生活を営んできたものと、豊かさを背負って飛び込んできたはずのものとの軋轢は大きくなる。

 

“今となっては一緒“。だからよろしくね!

 

と、建設途上で放り出された豪華ホテルや高級マンション。あるいは廃墟化しつつある元豪華ホテルや高級マンションが立ち並び、このあとどうすんだよと頭を抱えている後始末担当者に満面の笑顔で歩み寄るのは、鈍感力が相当鍛えられてないとできないわざ。

 

だから、その種の鈍感力を活かす場が用意されていないと軋轢や軋みが目立つばかりになり、あそこはいつもそうなのよと言われるようになるんだろう。