クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

踏み台

ほっておけばバラバラになるのが見えている、烏合の衆のリーダーは任期も長く、与えられる権力も強大。構成員が多様な集団をまとめ上げるには、強権が欠かせないから。

 

逆に、同質な集団をまとめ上げるには強権も強いリーダーもいらない。なんなら持ち回りでもいいくらいで、同質な集団をまとめ上げるには「同じ」であることがより重要で、協調性や同調性が欠かせない。

 

同調性を重んじる集団内では出る杭が打たれ、出過ぎた杭が打たれないのは、強権でまとめないとバラバラになる多様な集団。という目で集団と集団が選んだリーダーを見ていくと、集団の特性もよりクリアー。杭さえ打てない場所ならそれはそれで、もう杭さえ打ち込む余地もないほど支配の行き届いた場所。

 

多様性を認めた場所はやっぱり居心地が悪そうで、居心地が悪そうではあってもここが悪いあそこが悪いと、アラ探しも活発。アラ探しさえもう自由にできなくなると、一瞬居心地は改善されるけれど、そのかわり多様性は消えていく。

 

何かが大きく変わっていく時には、犠牲やむなしと言いがちな人が、実際に犠牲にした人の顔写真つきの名札をぶら下げてるなんてことは、あるわけない。

 

じゃああなたは何年何月何日に、誰をどのように犠牲にしたのですか?と聞かれても、そのようなことがあったと人づてに聞き、大変悲しく思っている。とか何とか他人事のように答えるだけで、他人事にするための不断の努力も欠かさない。

 

ノアの箱舟に乗るための混乱あるいは競争から抜け出したのに、あいつはあんなことしやがった加害者だと後ろ指さされ続けるんだったら、割に合わない。

 

「犠牲やむなし」は、拝金主義を加速させるためのマジックワード

 

誰かや何かを犠牲にして手にする利益と、生涯汚れ役として後ろ指さされ続ける人生とを天秤にかけた時、はした金では割に合わない。身を隠すにも、隠居するにもお金は欠かせない。だから、汚れ役を引き受けても割に合う金額は右肩上がり。

 

犠牲やむなしと言い出した時から拝金主義も加速し、ってか稼がないとやっていけないことにようよう遅まきながら気付いたサイン。

 

その理屈はきっと経験者ほど身に染みていて、つまり誰かを犠牲にする汚れ役を引き受けたものの、生涯安泰に生きるには貰ったお金や何かでは足りなくて、次に同じような汚れ役を引き受ける時にはより報酬額の大きい方を選ぶようになっている。

 

言ってみれば再犯者により有利なシステムでは初心者の勝ち目は薄く、一年二年で使い果たすような報酬を手にするのがせいぜいのとこ。初の汚れ役で生涯も安泰な高額報酬も獲得なんて、夢物語もいいとこ。

 

夢物語になると、現実に生きる場所のある人ほど離れていく。現実に生きる場所のある人から離れていった場所ではルールや遊び方も変わり、汚れ役はもう割に合わない。割に合うのもお得なもので、別の役。

 

犠牲やむなしと言いたがりな人は、踏み台あるいは犠牲にしてのし上がるつもり満々だったのに、気付けば自らが犠牲かつ踏み台にされてしまい、自らを慰めていると思えば含蓄がある。