クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

俗に通じるという怖さ

美男美女が身分違いの激しい恋に落ちたその舞台は、沈まないはずの豪華客船タイタニック号のなかでのことだった。

 

ハリウッドのトップスターを起用した“通俗的ラブストーリー”と、同時代なら誰もがそのシンガーの名とメロディーを知る世界的ヒット曲に目くらましされがちだけど、映画『タイタニック』が何度見ても見飽きないのは、氷山との衝突から沈没までの過程がリアルだから。

 

タイタニック号が氷山に衝突してから沈没まで、わずか。数時間という単位で、数日という単位じゃない。建造決定から着工まで、着工から完成までにかかった多大な時間を考えると本当にわずかな時間で、乗員・乗客・作った船会社に関係先と広範囲にわたって悪影響が及んだ。

 

そういう海難事故をリアルに感じるには説得力が必要で、映画『タイタニック』は船が沈む過程の説得力が半端ない。目を見張るような大きな船でも巨大な氷山と衝突すれば船体に穴が空き、空いた穴から海水が流れ込めば船は沈没し、乗員・乗客は海に投げ出される。

 

という極めて当たり前の事実は、船がどれほど豪華で当時の最先端で、乗客に紳士淑女が多く含まれていても揺るがない。

 

沈むはずがないと思われていた船が沈みそう。

 

という限られた時間が、レオナルド・ディカプリオ演じる貧しい青年ジャックとケイト・ウィンスレット演じるローズお嬢様の恋を激しくし、限られた時間でローズに見限られた富豪の婚約者男性のジャックに対する憎悪も煽ることになる。

 

助かりたい。あるいはどうすればいいの?と右往左往する群衆のなかで、ことさら美しく描かれるのは、立派な方。

 

例えば避難する人々の気持ちを落ち着かせようと、最後まで美しいメロディーを奏で続けた楽士たち。大勢の迷える人たちに取り縋れながら、最後まで迷える人を導くように説教(あるいは訓示)を続ける聖職者。

 

紳士らしく、正装して死に臨む老いた大富豪。海に投げ出された人たちを救いに戻ったたった一隻のボートに乗っていた船員たち。

 

ジャックにしても、自身は冷たい海のなかでローズは海水に浸からず海に浮いていたから助かった。

 

生き残る可能性ゼロ。あるいは生き残ったとしても女・子供が先で、一等船客が先という優先順位を考えれば生き残った説明がつかず、不名誉と共に生きることになる。

 

という状況判断を、立派な方を選んだ人たちは、前例のない緊急事態のなかで咄嗟に選んでる。

 

前例のない緊急事態のなか、わずかな時間で立派な方を選んだ人たちだから、聖人に列せられるかのごとく、映画というフィクションのなかでは美しく描き出される。

 

前例がない、というところが大きなポイント。

 

美男美女が身分違いの激しい恋に落ちる通俗的なラブストーリーと一緒に“立派な生き方(=死に様)”が喧伝されると、通俗的つまり聖人ではなく俗に通じた多数の人たちに、次なる前人未踏の危機に於いても前例を期待しそうな危うさがあり、俗に通じるのはいいことばかりではないから恐ろしい。

 

最悪の場合は命の危険に晒される。

 

その種の危険な業務に仕事だからと命懸けで挑めるのは、自身の死後も家族の生活が立ちゆくよう充分な補償や見返りが約束されている時だけ。

 

死後に聖人に列せられるかのように何らかの名誉、例えばフィクションでそれはそれは美しく描き出されたとしても遺族にお金は払われず、遺族のお腹は空いたままだったら、フィクションが美しいほどに残される側は虚しく、あるいは馬鹿らしくなるばかり。

 

誰もが咄嗟の判断で、立派な方を選べるとは限らない。

 

立派な方を、立場上逃げられない弱者に押し付けた強者が、真っ先に立派じゃない方を選んで逃げ出すことだってあり得る。

 

という立場で制度設計するのが俗に通じてない方のお仕事で、俗に習うあるいは俗に通じるような制度設計は、やっぱり俗に通じた方のお仕事なんだと思う。

 

通俗的かつ劇的に後世への教訓を多分に含んだ歴史的な大事故を描いたフィクションは、俗っぽく楽しむもの。

 

前例を反面教師に新しく何かを作る側に立つ、専門領域には通じているけれど俗には通じてない方が、俗っぽく楽しめるのは私人の立場限定。誰もが何かを言いたくなるようなわかりやすい大きな事故に際しては俗に通じない態度で臨み、通俗的な反応がどういう形で噴出しても距離を置く。

 

という二面性を意識的に獲得しておくと、僕たち・私たちだって大変なのにみんなわかってくれないと、職場放棄につながることもないのかも。かもかも。

 

沈みゆく豪華客船のなか。という限られた時間だからジャックとローズの恋は燃え上がり、助かる可能性ゼロだから、少数の立派な人たちは立派な生き方を選ぶ。

 

残り時間が10倍あるいは100倍に伸びて“限られた”ではなくなると、各々の決断も別のものになって、生き方も変わるはず。あるいは変わる可能性が増える。

 

だから美しくて立派という生き方は、残された時間をごくわずかという条件にすると生まれやすくなる。残された時間が膨大にもかかわらず、常に美しくて立派なのは俗人ではないから尊いんだ。ということにもなるんだと思う。