クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

広がるレパートリー

皮を剥くのが面倒くさかったので、ミネストローネに入れるじゃがいもの代わりにユリ根を入れてみた。

 

ホクホクした食感はじゃがいもに通じるものがあり、“じゃがいものような食感”が少量だけ要り用なときは、ユリ根で充分だと思った。

 

少量、一食分だけツナペーストを作るときには、玉ねぎをみじん切りにするのが面倒くさいのでミョウガを使う。その場合はきゅうりのピクルスでもいいんだけど、ミョウガは料理にも使うから(きんぴらに入れるとセロリのような香味があって、普通のきんぴらに飽きた時にちょうどいい)冷蔵庫にはだいたい常備している。

 

じゃがいもも玉ねぎも。応用範囲が広いから何にでも使えるけれど、何にでも使えるからと買い過ぎるとすぐに芽が出て使いにくくなる。

 

支障はないけれど使いにくい。だからストックするのも少量になって、少量だけど多品種でストックの種類を多くしておくと、食材に縛られずに自由にメニューが決められる。

 

“自由に”というところがくせ者で、毎回違うものを食べたいからとレパートリーを増やしておくとメニューを考えるのは苦でもない。違うものは食べたいけれどレパートリーが少ないと、メニューを考えるのは苦行になって定番化していって固まってしまう。

 

嘘かほんとか知らないけれど。京都の商家(=商売で忙しいおうち)では曜日やあるいは何日かごとに、今日はホニャララ料理の日とメニューはほぼ固定されていて、献立には悩まないようになっていたとか。

 

真偽は定かではないけれど、しまり屋な京都の商家ではいかにもありそうな話で納得感だけはあり過ぎる。

 

本業で忙しいのなら、商売繁盛で何より。

f:id:waltham70:20220306171300j:image

(これは雛祭りのお菓子として買った練り切りで、京都のお店のものじゃない)

本業に専念するために決まり事を増やし、決まり事に合わせて予算を組んで、予算内に収まるように節約し、節約して貯めたお金をまた本業のために使う。

 

そのサイクルが崩れないかぎり本業は安泰で、本業のためにならないことにお金を使うようになると決まり事が機能しなくなって家業が傾いていくんだと考えると、これもまた納得しかない。

 

長いスパンで歴史を重ねてきた街は、重ねてきた歴史相応に何かを計る物差しも長く、長い物差しがふるいにかけるのは、瞬発力ではなく持続力。

 

だから、京都に限らず歴史を重ねた街で続いたものはどこもタフで持久戦には強くできているんだと思った。

f:id:waltham70:20220306171310j:image

(ユリ根入りミネストローネスープ。)