クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

精神的にきつい方が、ダメージは大きい

きつい・汚い・危険。頭にくる三つを並べて3K職場。

 

体力的あるいは物理的にきつくて、実際問題として汚れるから洗濯が必要で、時には怪我するから危ないと言われていた。

 

物理的なものは改善の余地が充分にあって、物理的なものは成果がわかりやすくて目にもみえるから、改善に向かうとあっという間。

 

例えば、運動不足なのに食べ過ぎが常態になると太って当たり前で、運動量を増やして食べる量を減らせば、だいたい痩せる。だから、食べても太らない人を太らせる方が、大抵の場合は難しい。

 

運動なんか全然しない。だけど、食べる量は人一倍どころか二倍三倍。なのに、太るどころかちっとも太らずやせ細っていくだけ。という場合は物理的な法則を裏切っているので、きっと改善するのもより難しい。

 

厄介なのは、物理的ではなく精神的な3K職場の方。

 

精神的にきつく、平常心が保てない。あるいは平常心が脅かされる。フェアかアンフェアかでいえば断然アンフェアだから汚く、精神的なダメージが大きくて尾を引くからより危険なのが、個人的な独断による精神的3K職場。

 

一見すると、きつくもなく汚くもなく、危険そうにも見えない。なのに人が定着しないのは、精神的な3K職場だから。

 

という視点で眺めると、いわゆるホワイト職場やブラック職場という単純な区別だけでは見えてこない、別の側面も見えてきそう。

 

ホワイトにもブラックにも濃淡があって、白か黒かで単純化すればいわゆるブラックなんだけど。

 

どこからどう見ても真っ黒なものと、黒がどんどん白に薄められて限りなくグレイに近付いていったものは、濃淡がわかる側にとってはブラックとして一律に扱うのは違和感があり過ぎる。

 

古典の世界では偉大な先人が多過ぎるから、先人の偉業を讃えるが偉大な先人に近付く第一歩となって、「何々流」や「何々派」といった流派や派閥が生まれるのかも。

 

先人の偉業や偉大さを讃えること一色に染まると、そのジャンルは閉じていって、もう二度と偉大な先人を超える何者かは生まれてこなくなるのかも。

 

「何々流」や「何々派」といった流派や派閥の臭いがするだけで、そこはもう充分に古臭い。

 

「何々流」や「何々派」といった流派や派閥にジャンルが席巻され、偏り始める前に脱出に成功すると、まだ閉じてない、新しいことが攻撃されずに喜ばれて歓迎される。そういうジャンルに近付けるのかも。