クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

なんでもプラットフォームで考えてみる

ほとんどの日本人にとって馴染みのない、ターキッシュディライトをプリンと言い換える行為には、どう表現すればわかってもらえるかと知恵を絞った先人の苦悩や苦労がしのばれる。

 

一方、誰もが知ってる木の実をイチゴと言い換えたり、原典や原著にはない何かを勝手に追加して改変する行為からは、先人への苦悩や苦労に対する配慮は大して感じられない。

 

一体どこからそんな改変が始まり、どこまでオリジナルにはなかった改変が及んでいるのか。原典や原著にあたろうにも、原典や原著にさえ改変は波及していて、一体何が真なのかももはやわかりゃしない。

 

となったら、系そのものが信頼できなくなる。

 

ガトーショコラをベースに道産品のかぼちゃときなこを使い、名称は札幌スイーツに統一し、ちゃんと札幌スイーツとわかるように旗も立てるのが、札幌スイーツのゆるい決まり事。決まり事がゆるいから、旗が立ってないとひと目見ただけではそれとはわからない。わからないほど、スイーツそのものは多種多様。

 

明文化されたゆるいルールのもとに人が集って来たら、それはすでにプラットフォーム。会社のように、ガチガチのルールで縛られた組織も言ってみればプラットフォームの一種。

 

プラットフォ―ムの中で何かを互いに競わせてみても、勝つのは胴元。ギャンブルは、たいていの場合胴元が勝つことになっている。勝たないまでも胴元が潤わないと、賭場でもあるプラットフォームは維持できない。

 

勝った胴元が広告塔となり、プラットフォームの中で表現した、あるいは取り扱った何かの普及に努め、最終的には競争に参加した者すべてに恩恵が行き渡っていたら、そこはフェアな場所。

 

一方すべての参加者に恩恵があったとはとてもいえず、競争に参加したことで逆に著しく不利益を被るようなことがあれば、そこはアンフェアな場所。ついでに不利益を被った参加者には共通項があったら、最初から不利益、損をさせる相手を狙い撃ちしてるんだから、アンフェアにもほどがある。

 

参加あるいは利用したことでかえって著しい不利益を被ったことが可視化されたら、普及は進まず胴元も潤わない。ゆるい決まり事のもとに大勢の人を集め、たくさんの人に使ってもらいたい側は、だから不正行為に目を光らせる。

 

プラットフォーム、ゆるい決まり事のもとに新しく人を集めるのは、古いプラットフォームへの参加者が増え、巨大化していくほどに難しくなる。

 

一方古いプラットフォームが巨大化していくほどに、不正行為は巧妙になり、監視する範囲も広くなって監視あるいは管理業務が負担になっていく。負担だから、人が集まらないプラットフォームからでも人手を集めようとする。

 

大き過ぎて潰せなくなると、楽しく使ってる人よりも、不機嫌に監視あるいは管理している人の方が増えていくのかも。監視あるいは管理業務を自動化あるいは省力化できない限りは。

 

最先端は針の山で、その方面の知識や知見に欠ける人には、一見しただけでは最先端とわかるようにはなっていない。例えばちょっと軽くなった、ちょっと早くなった。その少しの差がわかる人は、ほんのちょっとでひと握り。ここから確かに変わったと、系の分岐を看破できる人もきっとほんの少し。

 

信頼できる系を残したい人は、信頼できる系を作る側や守る側につく。

 

最先端から遠くなればなるほど、その他大勢との違いは明らかで、その他大勢との違いを際立たせたい人や、違いがわかる人を新たに量産したいような人は、わざわざ僻地を選ぶのかも。成功体験は、成功体験と条件が近いほど再現しやすいから。

 

大きなつづらと小さなつづら。

 

大きなつづらには金銀財宝がたっぷりで、その代わり面倒なお付き合いもたっぷり増えますと言われた時、迷わず小さなつづらを選んで面倒なお付き合いを厭うような人が、どういう種類でどういう人たちか。同類ほどよくわかってるし知っている。