クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

余裕の産物は余裕の賜物

余裕の産物を、物心なんてとっくについてから究めようとしても、大体ヨユーであっという間に打ちのめされる。

 

時間とお金。ともに不自由しない人向けなのが、余裕の産物。だから、時間にもお金(予算ともいう)にも事欠きながら、時間にもお金にも不自由しない人向けの何かを究めようとしても無理がある。

 

時間が足りない。お金が続かない。なのに、時間にもお金にも不自由しない相手と同じ土俵で戦おうとしても、後方支援が足りなさ過ぎる。何よりも、時間にもお金にも事欠きながら極めたからこそ産まれた努力の結晶を、時間にもお金にも不自由しない相手にハイ、どうぞと快く差し出せるかと言えば、きっと無理。

 

感情の問題にお金でカタをつけようと思った時に、真っ先に必要になるのは大金で、感情の問題なのにケチるといつまでも感情のしこりはそのまんま。

 

お金を扱う仕事に就きながら、金銭のやり取りとともに発生する感情に鈍感だと、いつまでたっても本当に余裕のある人向けの余裕の産物は、扱えないし扱わせてもらえない。

 

金銭のやり取りとともに発生する感情が、扱い難いなんてことはとっくに知ってるからこそ扱わないのなら、逆に感情の機微に通じているとも言える。そういう人は、自身が得意なフィールドから離れないんだろうと思う。

 

感情の機微に通じていながら、感情の機微がどこよりも何よりも要求されるフィールドは決してめざさない。もしも、そうとしか見えない行動を取っていたら、その人は他人の二倍あるいは三倍も感情の機微を発揮したくないからなのかも。

 

金銭のやり取りとともに発生する感情に通じた人がデザインすると、感情の流れもスムーズ。金銭のやり取りとともに発生する感情の機微に通じていない人がデザインすると、感情もそこかしこで滞る。

 

金銭のやり取りとともに発生する、感情の機微に通じようと思った時。才能を目覚めさせるより早くから慣れさせるが正解で、幼少期から通じている方が、やっぱり有利。

 

時間にもお金にも、いつも余裕があって余裕の産物に囲まれている。そういう人は環境の賜物で、まず何よりも、金銭のやり取りとともに発生する感情にこそ通じているのかも。