クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

あれ、オレ詐欺の見抜き方

巨大だったり、完成まで時間がかかっているものは、そもそも誰が「作った」と言えるんすかね。

 

総監督・総合プロデューサーのような立場の人が何度も入れ替わり、監督やプロデューサー的立場の人のもと、数え切れないくらい大勢の人が作業に従事した。その後ようやく完成に至ったような場合は特に、製作者や制作者としてただ一人の名前しか出なかったら違和感がある。

 

本当に最初から最後までたった一人で、長期間に渡って大作の制作や製作に携わっている場合は無問題で、成果物の分配で揉めることもない。ついでに、たった一人でも大作を作れる人なら、大作以外のものに取り組んでも無問題。好みやポリシーとして、大作にしか興味がないという人は別にして。

 

名義貸しは、その名前を借りるとより多くの注目が集まり結果としてより多くフトコロが潤うから重宝される。だから名前を貸す方は、その名が汚されないような相手を選んで貸さないと、せっかくの名声が台無しになる。

 

勝手に名前が使われるのも名声のある人ならではで、あるある。

 

名声を台無しにされたくなかったらその名を貸せと、自身は決して名声を得られず悪知恵を働かせる輩なら、そう考えてもおかしくない。言ってないことも言ったことにされ、やってないこともやったことにできるから、情報操作手段としてフェイクニュースが重宝されて量産される。

 

嘘かホントか知らないけれど、今では画像や音声付きで、より巧妙に作り込まれてるとか。

 

より巧妙に作り込まれたものを、多くの人を欺くためにより多くの人の目に晒すか晒さないか。どう判断して行動するかに、判断した人の思想やポリシーが現れる。

 

今はまだより多くの人が信頼している。そんな歴史と歴史にふさわしいバックグラウンドを持つ媒体や組織の、名声を汚すような行為にわざと出る。信頼が地に堕ちて損なわれてしまえという負の感情でもなきゃ、そんなことしないしできない。

 

個人の意趣返しのように見せ掛けながら、ただのいち個人がそんなことできるわけないじゃん。という大掛かりなお芝居を進行させたり横行させるには、現在のヒエラルキーや価値観をひっくり返したいという、大望でもなかったらそもそも実行できないししない。

 

大作の責任者としてただ一人の名前を出しても無問題なのは、分配金の配分で揉めることはないと確定している場合。貢献度に応じた分配金の配分方法が透明で、透明だから例えば貢献度の高い人に低い評価、などという不公平も発生しない。

 

不公平に対する不満には、名誉で報いてお茶を濁す

 

という灰色の解決方法もとらず、あくまで金銭で解決するんだったら、そこは営利で回っている場所で営利企業の可能性もより高くなる。一見するとそうとはわからない、どんな看板下げててもさ。非営利だと透明性に欠けるばかりか成果の配分だって不透明で、成果に対する取り分が少なくても文句も言えなさげ。

 

非営利、営利とはまた別の論理や手法で回ってる組織や集団で、理由があってカネカネカネとお金に拘るうるさい人の口。営利に向いた人を非営利に回して無理やり閉じてしまうと、再分配を司りアンフェアに怒るどなたかさんが、閉じて開かない口の代わりに制裁に動くのかもね。

 

あの大作を作ったのはオレ・私という、あれオレ詐欺を見抜くには、細切れにしてしまうとわかりやすい。細切れ、たった一人になっても以前と変わりなく同じようなものや、より作り込んだものや手を抜いたものも自在に作れるなら、本人確認になる。作れないのにあれはオレ・私と名乗り出た人を、間違って大作の制作や製作に起用することもない。

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天気のいい日に、ドライブに行った時のもの。

今日もすっきりしない天気。水辺を心地よく感じる、夏らしいお日様や風が恋しくなるくらい、天候は不順。観光のトップシーズン入りしたのにさ。