クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

開かずの扉

開かずの書類箱を整理していると、もれなく発掘される外貨、@¥97.28ナリ。2008年のあの頃は、1ドル100円を切るほど円強かったんだなぁとしみじみする。外貨は”お金”という意識が希薄で、取り扱いおよび保管も雑だから、たまに味わえる宝探しな気分。

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円が強かったから海外旅行にも気軽に出掛けられた。旅先で、日本よりもワンランクあるいはもっとランクを上げた楽しみを享受してた人も多かったはず。輸入品の値段も下がり、日本では入手しづらい海外の名品珍品も手に入りやすかった。

 

その一方で、円高に苦しめられた産業や人もあるからいいことばかりじゃないけどさ。それでも個人のレベルで考えたら、国内よりも使いでのあった強い円のおかげで、いい思いができた。

 

翻って現在。景気はどうやらいいらしいけど、以前よりも円は弱くなり、海外に出ても以前のような使い方はできず、とびきり景気のいい人たちの懐に合わせて、住宅や車といった高価なものがとびきり高価になれば、円の使いでそのものは悪くなる。

 

その状態で景気のよさを実感するのは難しいから、景気よくお金使うのも難しいわな。

 

どうせ価格は下がるに違いないものを正価で買うのもアレで、誰かがお買い得な中古品を放出してくれるのを待つばかり。

 

損したくないという家計防衛力がとびきり高まると、損してもらう、あるいは損を損とも感じないニューカマーへの期待は高まる一方。

 

銀行口座を必要とするのに持てない人が、日本でも問題視するほどの数で存在するのかどうかは知らね。とはいえ世界あるいは新興国では増えていて、従来の銀行とは別のシステムでお金が動いているらしい。

 

何らかの金銭取引、出入りがあるから必要になるのが口座で、年に一回レベルそれも極少額の動きしかないのなら、口座が必須あるいは必要とは言えない。年に数回、それも極少額レベルでしか動きがないのなら、その口座は生きてるとは言い難い。

 

その一方で、頻繁に金銭取引は発生するのにいわゆる銀行口座は持てず、不便を感じる人がそれなりに居るのなら、それなりに不便を感じている人に合わせた別のシステムが重宝がられるのも道理。

 

現実に金銭取引が発生しているのなら市場参加者で、なのに口座は持てなかったら半分だけ市場経済に参加してる状態で、宙ぶらりんで不自然。

 

不自然で宙ぶらりんな状態は長く続かないから、便利な別のシステムへと流れることになり、便利な別のシステムがアンダーグランドにしか通じてなかったら大いに問題あり。

 

アンダーグラウンドには通じてない、でも従来とは別物の顧客層を相手にした金融システムを作るのはそんなに難しいことではなさそうだけど、アンダーグラウンドから飯のタネを取り上げることになると、話は別。

 

今後伸びしろが大して期待できない業界から飯のタネをひとつ取り上げるのは、個人から飯のタネを取り上げるよりはるかに難事で、簡単そうに見えてもうまく進まない物事の裏面には、案外そういう事情が隠されてるのかもね。と、渋茶すする。

 

お休みなさーい。