クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ホニャララはかくあるべし

ホニャララはかくかくしかじからしくあるべしは、供給サイドあるいは生産者目線。

 

例えば花壇。

 

流行り廃りを反映するとはいえ花壇らしい花壇の花は、くっきりはっきりのビビッドカラーが多い。ところがビビッドカラーの花を、個人の庭やベランダにそのまんま場所を変えて植えるとちょっと野暮ったくなる。好みや趣味は、それぞれなんだけど。

 

誰かへのプレゼントに使うブーケや花束は、ビビッドカラーだけでなくもっと柔らかでニュアンスのあるモーブなカラーも混じってる。くっきりはっきりした色合いの花だけでまとめられたブーケを、そのまんま部屋の中に飾ると浮くだけで、景色に馴染まないから。

 

個人の部屋や庭やベランダといった景色に似合うのは、ビビッドな色ではなくもっと柔らかくてニュアンスのあるモーブな色合いだからとビビッドな色合いを避けるのは、消費者あるいは生活者目線。

 

鮮やかなビビッドカラーもニュアンスのあるモーブカラーもよりどりみどりで選び放題なのは、消費者の好みに寄り添ってるから。

 

もしも消費者はビビッドカラーではなくニュアンスのある、部屋に飾っても違和感のない優しい色合いを求めているのに、見つからないか売ってもらえないのなら供給サイドや生産者の都合が優先されている。

 

売ってもらえないだけでなく、買おうとすると、とてつもなく高くつくという場合も、生産者の都合が優先されている。

 

ビビッドな色だけ。あるいはシックにモノトーンだけを扱っていると、ブランドカラーもくっきりはっきりするけれど、生産者都合で扱わない。あるいは扱えない場合もあるに違いない。

 

と、ビビッドカラーばかりが目立っていたブランドに、ニュアンスのあるモーブな色合いの商品も増えた景色を見て思った。

 

消費者が多種多様で一様じゃないのがわかりきっていて、貪欲に取りこぼしのないよう(それはつまり余所には奪われてなるものかという態度でもあるけれど)消費者に寄り添って生産者が扱える商品の幅が増えたことは、単純に生産者が強くなったことを表してるんだな、と。

 

ホニャララはかくあるべしと、押し付けてても別にいいんだけどさ。

 

その背後で、ホニャララはかくあるべしなんて絶対に言わない、口にもしなさそうなより強い生産者が控えていると、ホニャララはかくあるべしの声も段々小さくなっていきそう。