クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

アナログから見る世界

都会と田舎、あるいは大人とガキ。

 

二項対立思考法の利点は、何といってもわかりやすいこと。わかりやすいから必要以上に違いを強調するけれど、典型的なパターンは実のところそんなに多くないことは、もうみんな知っている。

 

都会と田舎でいえば、都会のなかの都会に立地するのはまずはオフィスや商業施設、それにホテルだから、定住している住民はそんなに多くない。昼夜人口の差が激しいのが都会のなかの都会の姿。

 

そこに都会のなかの田舎、あるいは田舎のなかの都会まで含めると、都市居住者の数はとんでもない数になるけれど、無理に水増しした都会人は、ライフスタイルも好みも多様で一様じゃない。

 

大人とガキでいえば、あれで還暦過ぎてるんですか???という、外見からしてすでにそれまでの年齢や社会的地位から逸脱しているような大人を、年齢や社会的地位相応な大人と一緒にしてもいいんですか?という問いも立てられる。

 

もっといいもの、上等なものも高級なものも身に着けられるポジションの人が、いつまでたっても“好きなもの”しか身に着けないのは単に趣味やライフスタイルの問題で、敢えて分類すれば“大人でもガキでもない”。

 

大人は大人らしい外見でと言われたところで、大人でもガキでもない層が人口ピラミッドのなかのマジョリティだったら、世の中はマジョリティに合わせて変わっていく。

 

局所では、大人でもガキでもない>大人>ガキだと、ガキがマイノリティになるけれど、世界に目を向けるとガキはマイノリティじゃない。

 

こどもの頃から世界と接続していると、マジョリティのはずなのに局所ではマイノリティというポジションに自覚的になり、マジョリティとマイノリティを便利に使い分けるという風に適応するのが当たり前になるかもしれない。

 

還暦や還暦越えとは思えない大人がいる一方で、ガキとは思えないほど脳ミソの使い方が発達した、単に見た目だけが年齢相応な、身長も体重も伸びしろのあるガキだっているくらい、大人とガキという線引きもすでに多様化してる。

 

そういう環境で、敢えて二項対立軸を作って競争から生まれるエネルギーを糧にしようとしても、まず二項にまとめるまでひと苦労。

 

次に待っているのは、まとまった二項を対立させて競争させる苦労で、何でそんなことしなきゃなんないのさ???と、言われないような二項を見つけるのにもっと苦労する。

 

競争なき世界に敢えて競争を作り出そうと思ったら、よっーぽど上手な嘘つきじゃないとムリ。

 

嘘が通用しなくなった世界で嘘をつき通そうとしたらアナログに逃げるしかなくなり、アナログに追い込むようだと、嘘ついてるのはやっぱりアナログに追い込んだ方じゃん。ということになる。

 

競争なき世界はモノポリーの弊害で、モノポリーが崩れ、競争にメリットがあると自主的に理解しないとやっぱり競争によるエネルギーは生まれない。イヤイヤあるいは無理やり競争させて、競争を演出できてもエネルギーにはならず、競争を演出したコストはいつまでたっても回収されない。