クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

バルク

現在価値しか認めないリアリストが、過去や来歴を深掘りするのは、何かを安く買い叩きたいからに決まってるじゃん。

 

安く買って高く売れたら楽に儲けが出るんだけど、何でも値上がりし過ぎちゃうと、もう安く買えるものなんてどこにもない。だから安く買い叩ける材料を探し、場合によっては安く買い叩けるよう、目を付けた素材そのものを叩くのさ。

 

一個から出るアガリや利益は大したことがなくても、バルクとなったらまた別。だからバルクで買い叩く準備がある側は、バラバラなものをバルクにしてから買い叩き、買い叩きやすいようひとつにまとまれとけしかけにくる。

 

昭和の犯罪史に残るような事件が起こった時、その犯罪の手口が大して有名ではないフィクションとそっくりだと一部で話題になったことがあった。大して有名じゃないフィクションが事件のおかげで有名になったんだとしたら、事件さまさま。だけど、もしもこれが有名なものだったら、きっと打撃になる。

 

そもそもの影響力が大き過ぎると模倣犯を産みやすく、模倣犯のゆりかごになるからという理不尽な理由で、ゆりかごそのものも問題視されてしまう。

 

そんなの真似する方が悪いに決まってるんだけど、迷惑する人がいるから真似するなと注意して止めるようだったら、そもそも迷惑行為になんか手を出さない。

 

モラルが通用しない相手に悪用されると、模倣犯が量産されて、迷惑する人も続出する。

 

その手の情報は結局隠されるようになり、隠されるようになると、情報を売って対価を得ている方にとっては大打撃。だから、悪用されると打撃になる相手を選んで悪用するという動機も生まれやすい。

 

何かが起こった時は、HowよりWhy。そっちの方に、断然大きな意味がある。

 

なぜ、どうして。特定の何かが執拗に攻撃されている時は動機の方により意味があり、動機さえわかれば謎なんてほとんど解けてるんだけど、謎が解けたからといって攻撃が止むとは限らない。

 

モラルが通用する相手なら、そもそもそんなことしないんだから。

 

モラルが通用しない相手にモラルで対抗しても無意味。モラルが通用する相手としない相手は分ける必要があり、必要があって分けてるものを敢えて一緒にするのなら、敢えて一緒にする理由の方に、より大きな意味がある。

 

どっちも売ってる物に、大した違いなんてないじゃん。

 

という商品を、せまーい商圏内で競わせ負けることが許されないリーダーにそれぞれ任せて競わせると、たいていは活気が生まれるもの。火のない所に煙を立たせ、立たせた煙を客寄せにして競わせ、負けた方が勝った方のものとなったら、どっちが勝ってもひとまとめにできる。

 

ひとつのバルクとなって点が面になり、面となったバルクの盤面の色が、オセロのように白から黒あるいは黒から白になって、色が変わるたびに入れ替わる何かがあれば、見せかけやでっちあげの競争からでも、何らかの経済活動という本物の動きが生まれる。

 

でもさ、そもそもが見せかけででっちあげだから、常に人為的な関与や作為がないと続かない。関与や作為がなくなったらすぐに動きが止まってしまうものを、未来永劫休みなく続くかのように見せかける行為は、一般的には詐欺やインチキと呼ぶものさ。

 

一方にはやりたい人が居て、他方にはやりたくない人が居て、やりたくないと公言してる方が執拗に攻撃されていたら、なぜ攻撃されるのかなんて、小学生でもわかる。理由や動機がわかったところで、攻撃そのものは小学生では止めようもないんだけど。

 

一方的な攻撃を、見てるだけだった小学生もいつかは大人になり、なぜという課題をそもそも抱えつつ大人になったら課題解決力もそりゃ高くなる。課題解決力が高くなったかつてのお子様には、もうコドモダマシな手口は通用しないさ。