クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ご機嫌な時の鼻歌はご褒美

ストレスが溜まると金遣いが荒くなるんだよね、この人たち。

 

という属性持ちをできるだけ一ヶ所に固め、荒くなった金遣いで落ちてきたお金をキャッチして、キャッチしたお金をストレスに手加減を加えるための調整弁として使うと、理屈では半永久的にお金が回り続ける。

 

誰かを愉快にする方が難しくて、不愉快にするのはとっても簡単。

 

誰かや何かを愉快にすることで対価を得ていると、愉快にしているという実感も報酬の一部となって、自尊心を高めるのにもお役立ち。誰かを愉快にしているという実感が積み重なることで、自尊心も確かなものになって向上する。

 

自分の作ったものが、ご機嫌な時の鼻歌となる。あるいは仏頂面が笑顔になる。

 

その種の経験は勝手に自尊心を高めてくれるから、自尊心を高めるあるいはモチベーションをキープするために、過剰に何かに依存することもない。

 

自分の作ったものが、確実に誰かや何かを不愉快にしている。誰かや何かを不愉快にすることで対価を得ていても、自尊心は高まらないし満たされようもないから、何か、例えば消費(有体に言えば無駄使いやな)のようなものに過剰に頼ってハマるようになる。

 

世の中に不機嫌の総量が増えた時と、ご機嫌の総量が増えた時と。

 

どちらがより消費が旺盛になるかといえば、きっと不機嫌の総量が増えた時。不機嫌の総量が多い時ほど個人消費は旺盛になって盛り上がるという肌感覚や、あるいは確固たる裏付けとなるデータがあり、その通りに実践したらどうなるか。

 

ムリヤリ競争社会ランキングに参加させられると、ストレスがたまってたいていは不愉快になる。水を得た魚で、たまーにはいきいきピッチピチな人もいるかもだけどさ。

 

ストレス発散が、旺盛な個人消費に向かうのか、それとも生産に向かうのか。

 

ストレスが溜まると生産に向かう人と、

ストレスが溜まると消費に向かう人。

 

両者を上手につないだ美味しいポジションにいる人にとっては、世の中に不愉快の総量を増やすという動機が生まれる。

 

生産と消費。そのどちらも各々の役割に飽きて、生産量や消費量が落ちてきたら、プレイヤーを入れ替えればいいだけ。そしたらまた、勝手に活性化する。

 

プレイはしない。そういう立場から、お金の総量や何を作って世の中の空気を動かすかを考えつつ、各プレイヤーに深く浅く干渉してる。そういう風に見えるんだけどさ。干渉が過ぎると、そりゃ嫌われるさ。

 

一気に春めいて、シラカバ花粉もそのうち派手に飛び回りそうだから用心してる。