クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

痛みはこらえない

それがどうした。あるいは、それが一体何ですの?に勝ることばなんて、ちょっと思いつかない。

 

特定の民族に固有なものであるわけがなく、普遍的な感情だから、基本どこの国でも通じるユニバーサルなもの。書きことばより話しことばで頻出するあたりも、きっとどこでも一緒。

 

とはいえツラの皮が相当ブ厚くないと、いつどんな時でもそれがどうしたで突っぱねるわけにもいかず。痛みをこらえて頑張り抜くと、大抵は自滅が待っている。

 

年齢あるいは経験相応にツラの皮がブ厚くなっていないと、それがどうしたで突っぱり続けるには無理がある。ツラの皮を速攻でブ厚くするために、罵詈雑言しか待ってない場所に無防備に放り込めば、ツラの皮がブ厚くなるより先に、精神がもたないし身体がもたない。

 

温室育ちや箱入りで大事に育ててきた大事なものは、無防備に千尋の谷に突き落としたりなんかしない。痛みをこらえて頑張り抜くと、待っているのはたいていの場合自滅だから、自滅に誘うために谷底に突き落とされる。

 

本人にはどうしようもない、変えようもない属性で理由なく嫌われる。

 

そういう属性持ちを、嫌うに決まってる連中が待ち構えているなかに無防備に放り込むのは、教育でもトレーニングでも何でもない。

 

単なる気晴らし。

 

単なる気晴らしのために、嫌うに決まってる相手に何らかの理由があって大事な何かを託さざるを得なかったら、バランスを取るためにウチの中では必要以上に甘やかす。それくらいしないと、温室育ちや箱入りはもたない。

 

厳しい環境におかれた温室育ちや箱入りの生存本能が目覚めすぎると、嫌うに決まっている連中との同化が素早く進む。嫌うに決まっている連中との同化が進むだけだったら、せっかくの温室育ちや箱入りも台無し。

 

温室や箱入りで育ててきたからこそ育まれてきた、何か。

 

その何かが温室でも箱入りでもなく育ってきた何かと素早く同化してしまえば、最初からそんなものはなかったかのように扱われる。民族浄化ってそうやるんでしょ?場当たり的でその場しのぎにしか過ぎないのは、対象のことをなーんにも考えてない何よりの証拠。

 

温室や箱入りで育てるのは、そもそも育ちにくいから。

 

抜いても抜いても勝手に生えてくる、生命力が必要以上に旺盛なものだったら、わざわざ大事に育てたりなんかしない。大事なものを育んでいるという自覚があれば、必要以上に大事にするさ。その過保護な行為がかえって反感を呼び、一層辛くあたられることが予想できたらそうする。

 

そういう環境だったら、そうなるのは当然ね。というものが、そうならなかったからレアものさ。