クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

同工異曲

クリスマスのご馳走は、何にしようかと考えるシーズン。鶏の丸焼きに豚肉の塩釜といろいろ作ってきたけれど、家庭でできる御馳走にはやっぱり限りがあるから悩ましい。

 

ハンバーグ、ミートローフにパテ・ド・カンパーニュと名前は変わって作り方も少しづつ複雑になっていくけれど。もとを正して原材料から眺めてみても作り方からみても、だいたい一緒で同工異曲。

 

作り手からすれば、同工異曲でだいたい一緒。原材料を揃える手間も作り方にも、そう大差なし。

 

ただ、パテ・ド・カンパーニュを好む向きにはハンバーグだと子どもっぽくて物足りない。ということは大いにあり、逆にハンバーグだと食欲旺盛になる向きにとっては、パテ・ド・カンパーニュだと食欲は刺激しない。

 

じゃあそこはミートローフの出番で双方満足するかというと、そうはならないあたり、やっぱり味覚は保守で、好みは好みとして厳然と存在するから、特に好みが剥き出しになる家庭内では、保守的で頑固な方に譲りがち。

 

作り手からすれば、同じテーブルにつく好みの違う二者がいても、材料も製法も大して変わらないのなら、各々の好みに応じたものを各々に出せばいいだけ作ればいいだけなんだけど。

 

家庭内に溜まる不満の総量を減らす方向に、惜しみなく手間をかけるのなら平和主義で、家庭内に溜まる不満の総量に無頓着だったら、家庭内の平和には大して興味がなさげ。

 

家庭内に限ったことではないんだけど。不満の総量が少なくなるように動くのが知性の平和利用で、不満の総量が大きくなる方に舵を切るのが、知性の反平和利用なんだと勝手に思ってる。

 

満ち足りている円満な環境に波風を立てたかったら、不満の総量を大きくすると円満な何かも円満ではなくなる。

 

争いは、同じレベルのものでしか起こらないのなら、同レベルが大勢集っている時ほど争いも大きくなりがち。ついでに、物凄い知者や賢者はだいたい数が少ないから、集ったとしても集団としてはたかが知れてる小集団にしかなれない。

 

不満の総量を少なくする、知性の平和利用には小集団で十分で、少数が少数でなくなった時には本来起こらないはずの争いも大きくなって、知性派なのに武闘派という異形が生まれやすくなるのかも。

 

知性派なのに武闘派という、知性の反平和利用が目立って不満の総量が大きくなり過ぎた時は、すかさずもとの小集団に戻して武闘する必要のない環境におく。そうすると、知性は知性のままで荒ぶらず、平和なまま平和利用も進むのかも。かもかも。

 

今年のご馳走は何にしようかと悩むほどに選択肢があるのは、どう考えても平和で満ち足りている。