祭りに使ったもの。祭りが終わったあとは思い切りよく火に投げ込んで始末するのは、思えば小正月行事のどんど焼きや左義長っぽい。
その火で焼いた餅を食えば、無病息災のご利益があったという故事も、キャンプファイヤーの火で芋焼いたり栗焼いたり、別の形に化けて細々と生き延びてそう。今だったらマシュマロ焼くとか?
規律と秩序のもとで粛々と作り上げた、お祭りのためのとっておきの品。とっておきだろううと何だろうと、景気よく壊しにかかっていると現代っぽくって、焼きマシュマロがお似合。
景気よく壊すなんてとんでもないと、規律と秩序に従って粛々と壊しにかかっていると、モノに霊性でも見ちゃってるようで、より左義長っぽくて迷信っぽいやね。
ソフトがよくなったのか、ハードがよくなったのか。
今年雪まつりで見たプロジェクションマッピングは、最初期の頃が子供のお遊びに見えるほど進化してた。
色、鮮やか。動き、滑らか。セリフなしでも、ストーリー性豊か。
あるのはただの真っ白なキャンバス。その場所を、好きに使っていいよと言われても、結局はストーリーに寄ってくるぐらい、やっぱりストーリーは便利で強力。強力だから、ストーリーという枠は超えるのが難しい。
新しいはずの表現が、なーんでまた最古の表現に寄っていくんだか。
きれいねーステキねーと単純に喜びつつも、そこはちょっぴり謎。とはいえ、今のは何???何なの???と、思うようなものだらけだと、きれいねーステキねーと、単純な感想は出てこない。
きれいねーステキねーという単純な感想を引き出そうと思ったら、昔の名前で出てますみたいな手法が間違いないのかも。
世界最古の職業が現代でもしぶとく生き残ってるように、生き残ろうと思ったら最古の手法に自然と寄っていく。だから生き残りに背を向けない限り、本当に新しいものは生まれてこないのかも。
これっきり。そう思えばやりたい放題できる。
何らかの覇権を賭けて、我こそはと思う猛者達がしのぎを削る。国盗り物語的なものは、わかりやすくて感情移入もしやすいから、だいたいいつでも人気があるけれど。
権謀術数の限りを尽くしていても。裏切りや騙し打ち、あるいは抜け駆けがあったとしても、最終的には仲間を作ろうあるいは友達を作ろうというメッセージと一緒に届けられるものだったら、出自はジュブナイル。ぱっと見は、どれほどジュブナイルから遠くても。
俺・私の部下やしもべにだったらしてやる。だがしかし。お前の部下にはならんと勝者以外全滅で仲間も友達も不要なら、ぱっと見はどれほどジュブナイルに近く見えたとしても、ジュブナイル生まれじゃない。
きっとジュブナイルとは別の、青少年にとっては害になるところ生まれさ。
昔っからジュブナイルでーす♪という顔をして、しれっとジュブナイルに混じっていても、出自をたどれば別のもの。
そう勝手に思ってる。