アウトローやアウトサイダーと呼ばれるような人たちの結束は、そうではない人たちよりも一般的には強いと思われている。真偽はどうだか知らないけどさ。
少なくとも、そう思わせるエピソードをふんだんに盛り込んだフィクションは多い。
ところが切れそうにない固い結束も、一方を王侯貴族のように丁重に扱い、もう一方を粗末に扱い、扱いに格段の差があることを見せつけられると、固いはずの結束にもヒビが入る。
例えば付き合いが長い。あるいは何らかの秘密を分け合っているなど、裏切るはずがないと思われていた相手でも、粗末に扱われていることを客観的に見せつけられると、結束も揺らぐ。そうやって固いはずの結束にヒビを入れながら、ヒビを入れた側は思い通りの情報や結果を手に入れていく。
という手口は、フィクションで学んだ。
文字情報よりも視覚情報の方が、はるかに頭に入りやすくて残りやすい。ついでに、文字情報ほどリテラシー格差も関係ないから、ある種のテキストにはもってこい。
勧善懲悪が描きやすく、登場人物は身近な職業についていて、知らない職業や業務内容じゃない。という職業ものかつ犯罪を取り扱った作品の、もっともよい視聴者や読者はその職業に就いている人なんじゃないかと勝手に思ってる。
だっていいテキストだから。
物理的かつ心理的に被害者を追い詰める手口や、加害者あるいは加害グループから自白あるいは証言を引き出す手口が、ふんだんに盛り込まれている。現実はもっと単純で、複雑に入り組んだ事件の発生確率が低く、低いから複雑な事件には慣れてないような時は、なおさらいいテキストになる。
物理的な手口が最先端に寄り過ぎたものは、エンタメにはならない。模倣犯が増えた時に収拾がつかなくなる手口は、広めたところでどうしようもないから。
解決あるいは解明できるのもやっぱり最先端にいる側で、解決できなくはないけど解決にはとぉっても資金がかかる。というような、限られた予算さえも最先端に寄せられてしまうような事態は、どう考えても歓迎されなさげ。
予算という限られたパイしかなく、解決に必要なツールや機関を使ってしまうと予算を超過するから、じゃあ張り切って罰金取り立てましょうというわけにもきっといかない。水面下ではあるかもしれないけれどさ。
泥をかぶるという言い方があるけれど、泥をかぶったところで、誰もその泥を拭いに来てくれなかったら被り損。たいていは泥をかぶり続けることに耐えられなくなって、逃げ込む先があればそちらに逃げていく。
一方を王侯貴族のように丁重に扱いもう一方を粗末に扱うことで、切れないはずの固い結束にヒビを入れる行為と、誰かに泥をおっかぶせる行為は、セットにするとより効果的。
何のために泥をかぶっているのかわからなくなって勝手に逃げ出す、つまり切れていくから、切りたかった相手との縁も自然に切れていく。そうやって、切りたい相手との縁を順次切っていき、望んだ相手との縁だけ結んで強く、あるいは大きくなってきたような人や組織は感じ悪いから、縁を切った相手からは嫌われていく。
そんなやり方でしか、大きくなれなかったし強くなれなかったのは、たいていは新興勢力。もう新興でもなくなったら、そんなやり方は通用しないんだけどさ。
率いる群れには弱者が居て当然と思えるのは、最初から群れで動いている方。群れに入ったことさえないと、弱者は食い物にするものという邪な考えも起こりがちで、群れなのに極端に視野狭窄なメンバーが入って弱者を駆逐したあとは、食い物にするものが群れそのものから消え失せて、飢えに苦しむようになってんだよな。