よいイメージを持つ名前は、よいイメージにあやかろうとする人たちに勝手に使われる。
その一方で、よいイメージもあるけど悪いイメージもたんまりある、毀誉褒貶ある名前は使われにくく真似されにくい。
ナポレオンといえば、今でも19世紀に生きた人物のイメージが圧倒的で支配的で、21世紀になった現在、子供にナポレオンと名付ける人がどれほどいるのかちょっと謎。
ナポレオン・ボナパルトをありふれた名前、ジョン・スミスに置き換えると、ジョンと呼ぶようにナポレオンと呼んでいる。名字、ファミリーネームではなくファーストネームで呼ばれているのは、歴史を振り返れば王様の特徴。同じ家系、ファミリーネームから王様を何人も輩出していたら、個体識別に必要なのはファーストネームだから。
歴史を作るのに、王様だけでなく官僚や政治家あるいは軍人にその他、文人や科学者が加わるようになると、個体識別に必要なのはファミリーネームで、ファミリーネームで記憶される人が増えていく。
だから、ナポレオンはボナパルトではなくナポレオンとして知られてる。結局短命に終わっても、王朝は王朝だから。
名前は最初の贈り物で、子供に非凡な名前を付ける人は、非凡な人生を子供に望んでいるとみることもできる。非凡な人生を望む、その動機にはいろいろありそうだけどさ。
同時代、少なくとも半世紀や1世紀のスパンで考えた時、誰もが成功者だと考える人物の名前にあやかるのは、子供によりよい人生を望む、わりとありふれた動機。功も大きいけれど、また罪も大きい。功罪両面あって、好かれる反面勝手に嫌われる、それも蛇蝎のように嫌われる名前にあやかろうとする親は少ない。
功罪両面ある名前は、悪用するのにもってこい。
悪い遺産と悪いイメージを増幅させたかったら、悪い遺産や悪いイメージに勝手に名前を拝借し、印象操作でとことん貶められる。
とことん貶められるのがわかりきっている、非凡な人生をおくることになる人には、だから誰もが知ってる単純かつ平凡な名前か、逆に誰も思いつかないような非凡な名付けになる。
非凡な名前は非凡で目立つから、むやみやたらとコピーはできない。その反対に、ありふれた平凡な名前は、ありふれすぎているから個体識別が難しくなる。
ありふれた名字やファミリーネームに非凡なファーストネームの組合せは、覚えてもらいやすいから名を成す時にはプラスになる。その反面、名付けた非凡な名前が功罪両方の面を持ち、罪をいつまでも忘れない人にとっては悪印象しか残らないものになっても模倣もされず、模倣されないから悪用される危険性も低くなり、唯一のものになりやすい。
代々続いてきたわけでもない。
いってみればぽっと出が名を成してコトを成そうとすれば、名付けの段階からすでに非凡なスタートを切っている。名付けの段階からすでに非凡なスタートを切ってるってことは、名付けた側は非凡な人生になることを承知してる。
名付けられた本人の意思がどうであろうと、非凡な人生をおくることが決まってる。
そういう人物におくる最初のプレゼントとして、ありふれた名前をおくるかそれとも非凡で悪用されにくい歴史に習うか。平凡でありふれた名前をおくるなら、そこにはやっぱり平凡な人生であって欲しいと願う気持ちが、透けて見えるような気がするんだけどさ。