クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

誇ることじゃない

進化した、あるいは新しい技術の悪用方法について、もっとも早くから深く考え抜いているのは、新しい技術の側に立ってる方。新しくない技術の方に立っている、あるいは技術のことなんて考えたこともないなんて立場の人は、善し悪しなんて考えもせずに便利に使う。

 

新しい技術を正しいツールとして使いたい、“意識高い”人たちだけで囲い込むと、意識高い人たちが思いつきもしないような使い方や悪用方法は生まれてこない。

 

想定内の正しい使い方がほぼ万人に普及したあとは、想定外の悪用方法を思いつく、意識高いとはいえないような人たちの出番。悪用された先には、正規ルートに載せれば採算が取れるかもしれない何かが転がっているかもしれず、よいアイディアが転がってなくても、悪用方法を潰していけば、それはそれで新規事業のネタになる。

 

悪用された場合、悪影響が及ぶ範囲が甚大かつ取り消しも不可能で、正しく使ってもらうコストよりもはるかに高くつくようだと、使うメリットも薄くなる。

 

宣伝効果やリクルート効果も含め、正しい使用法の普及につとめた方が安くつくから、たいていはコスト重視で安い方を選ぶもの。

 

外聞も悪くてリクルートにも効果があるとは思えない、悪用方法にあくまでこだわるのは、そもそも外聞リクルート効果も考慮しなくてもいい環境で、新しい悪用方法の開発こそがミッションだから。なのかも。

 

ざっくり言えば宗教上の理由みたいなもので、決して悪用が許されない立場の人は、自分ではできないことは誰かやどこかに任せるしかない。

 

毒を売ったあとは、毒消し売りに転身すると二度おいしい。毒消しを売って歩くのも一巡すると、また新しい毒の開発に取り掛かればいい。というサイクルを繰り返すことでキャリアを築くと、他人にキャリアを説明するのが難しくなって転身もより難しくなる。

 

正しい使用法の普及が一般的になって、正しくない使い方をする人の方が珍しくなると、毒売りのお仕事はあがったり。必要ないから毒消しの仕事もあがったりになると、新しい技術の普及も最終段階にきたってことで、今度はまた別の新しい技術の毒売りや毒消しについて考える時期。

 

まだ新しく、ついでにその普及や普及段階で起こりうる想定外の出来事についても、まだ誰も真面目にイメージさえしたことがない。という手つかずの新しい技術は、きっとまだ明確に言語化もされてない。

 

言語化やイメージ化もされてない新しい技術は、誰とも共有できないから結局は実現されることもない。逆に言えば、新しい技術を言語化もイメージ化もできないようにすれば、もう今以上に新しい技術は生まれてこない。

 

どうやったって古い技術、あるいは技術とさえ呼べないものの側に取り残される側の妄執あるいは怨念めいた暗い情念は、馬鹿にできない。あるいは、悪用に飽いたあるいは怒った人たちが、これ以上の進化を止めたのかも。

 

結局なんでもかんでも人海戦術バンザイで、人さえかき集めて来れば何とかなるという光景は、どこからどう見ても未来っぽくない。新しい時代の始まりを感じるよりも、暗黒時代の幕開けっぽくて、イメージした人はきっと暗黒好きで暗黒と相性よしなんだろうと想像する。

 

動員がかかるたびに、律儀に駆け付けるとか。構成員すべてが命令あるいは号令のもとに一糸乱れずに動ける組織以外では、無意味なのにさ。