クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

真偽は、知らね

王様の首だって、ちょん切られちゃった時代。処刑されてもおかしくなかったのに、島流しでお茶を濁したのは、首を切るのが恐ろしかったからかも。

 

古い権威の象徴であるルイ16世が断頭台の露に消えることになったのは、恐怖政治のさなかでロベスペール派によるものだって、後世にもちゃんと伝わっている。悪いことはすべて、ちょうどいいからこいつのせいにしてしまえ、というよくある奴かもしれないけどさ。

 

新しい権威(当時としては)の象徴であるナポレオンの首、ちょん切っちゃったら民衆がどう暴発するかわからないから島流しになったんだろう。くらいは、当時をよく知らない現代であっても、すぐにわかる。

 

ついでに、悪者にするちょうどいい人物がいなかったからでもあって、もし悪役にぴったりの人物がいたらやっぱり古い権威の象徴と同じように、首ちょん切られちゃってたかも。悪意をひとり、あるいは一派に集中することができたら、後処理や事後の始末は何かとやりやすい。

 

あ、それ急進派のせいなんですわ。

 

とゆき過ぎた、あるいはアクセル踏み過ぎたせいでアンコトローラブルになった状況も、いったん正常化して穏健化することができる。事実、ルイ16世の首はねちゃた恐怖政治の首領だったロベルピエールの首も後に落とされ、恐怖政治が幕を閉じ、一旦は穏健化する。

 

後世から見たら、集団ヒステリーとしか思えない恐怖政治のさなかでは、合議や民主的な手続きはどう見てもないがしろっぽくて、結論ありきで首はねてたよね?としか思えない。

 

理性というストッパーを外し、めいっぱい感情で突っ走って滅茶苦茶やったあと。すべての責任を押し付けても文句が出なさそうな独断専行型リーダーを用意しておくと、本当に都合がいい。

 

一存だった。独断専行だった。というすべての責任を押し付けられた指導者が、本当は何を考えていてどんな人物だったかなんて、同時代を生きた人以外には本当のことなんてわからない。歴史は勝者が紡ぐものだから、勝者に都合よく脚色されていても何の不思議もない。

 

本当は何を考えていて、どんな人物だったのか。後世からはわからないけれど、死人に口なしで合議だったのか否かの客観的証拠にも乏しかったら、独断専行だったという都合のいい状況に合わせ、被害が他に及ばないようたった一人のせいにされることもある。

 

という事実から学べることも、意外とたくさんある。

 

死人に口なしで、すべてをたった一人のせいにされたらたまんねぇ。民主的な手続きや合議制の重要性に目覚めて自覚的になるのは、次の世代から。

 

フランス本土からは、フランスと認められてたかどうかも怪しい辺境の地から、本当にただの一兵卒から皇帝にまで成り上がった立志伝中の人物は、勝手に崇拝される。失脚したあとでも、再起のために挙兵したとの一報でもあれば、現在の職場も立場も捨てて、ただ立志伝中の人物と行動を共にしたいという感情だけで、有象無象の大衆が動く。

 

現実あるいは現在でも、そば近く寄ることもできない著名あるいは高名な人物のTwitterでの発言に、一喜一憂する人の多さを見れば、今も昔も人のやることなんてそう変わらない。

 

有象無象の大衆を動かすことができる人物なんて、単なる脅威。

 

だから、失脚した立志伝中の人物が、大逆転で皇帝に返り咲いてふたたび民衆を率いるという、大衆に都合のいいストーリーは用意されない。正統派に戻るという、ウィーン会議で決まった通りの路線を踏襲しながら社会は動き、正統派では抑えきれない世の中のガス抜きは、事実が丁重に扱われる場所とはまた別の場所に用意される。

 

酷い目にあった前途洋々たる好青年が、大金持ちになって彼を陥れた悪人たちの復讐にも成功する。というよくできたお話は、こうだったらいいのにという失脚したナポレオンの後日譚。

 

現実には、失脚した立志伝中の人物が二度と再起できないよう、ヨーロッパ列強が寄ってたかって結託して、大逆転を許さない。せいぜいいい人が先に死ぬことで、空しい戦いは止めましょうと、戦争に対する抑止力に都合よく使われる程度。

 

将来に対する大いなる脅威を全力を挙げてぶっ潰してから、空しいから戦争はやめましょう!とかむっちゃ空疎だけどさ。その種のことが恥ずかしげもなくできないと、官軍、それも歴史と伝統に陶冶されて磨き上げられてきた、官軍にはきっと入れないようになっている。

 

史上空前という枕詞が似合いそうな偉業をなした人物は、早世するかその血統も絶えることが多く、暗君とたすき掛けくらいが、皇統や王朝が長続きする秘訣なのかも。立志伝中の人物の下では、どうしたって優秀な部下や組織は育たず、ボンクラを大将として戴くくらいが、優秀な部下や組織育成のためにはちょうどよかった。

 

くらいのセオリーがあると、そんなセオリーにもつい従いたくなるやね。当然、真偽は知らね。