クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

内も外もなし

一点の曇りもなく100%前向きな気持ちでポジティブに取り組んだ過去のお仕事が、現在の自分を食わせている。あるいは現在の自分を助けているなら、そのお仕事はやっぱり胸の張れるお仕事だった。

 

逆に、200%後ろ向きな気持ちでネガティブに取り組んだ過去のお仕事が現在の自分を縛り、不名誉街道を邁進させられるなら、そのお仕事はやっぱり誰にも誇れるお仕事じゃなかったってこと。

 

不名誉街道を行かされる人たちの、不名誉記録更新につき合う必要なんてどこにもない。

 

毎月変動する単価と使用量で価格が決まるような仕組みでは、自助努力でがんばって使用量を減らしたところで単価そのものは相手の言いなりだったら、自助努力にも限界がある。

 

使用量=需要の減少を見越して、単価引き上げで対抗されたらお手上げ。

 

結果として現れる数字だけを取り上げても、しょうがないなと実感するのはこんな時。使用量は自助努力で何とかできても、単価に対する価格交渉はできず交渉材料もなかったら、価格決定権を持つ相手の優位性は揺らがない。

 

商流の上流を抑えたあとで、競争も競合もないとほぼ言い切れる状態にまで持ち込めたら、ほぼ独占状態となった市場では価格も思うまま。安くも高くも好きなように操作できる。

 

商流の上流を抑えたうえで、“思い知ったか我々の恐ろしさ、逆らったらより恐ろしい目にあわせてやる”。と、商流の内側に囲い込んだ人たち相手にスゴんでみたところで、“商流の上流のさらに上”からぶん殴られて同じようなことをされたら、今度は商流の上流であってもお手上げに追い込まれる。

 

あっそ。そういうことができるしやっちゃうんだ。じゃあそういうことができるしやっちゃう奴らからは、取り過ぎても絞り取ってもまったく良心は傷まないから、遠慮なく配慮するのもやめるね。という状態を招く。

 

商流の上流にいる人たちが、自分たちの名前や顔を出して“逆らったらより恐ろしい目にあわせてやる”なんて、やるわけない。やらせるのは別の人や別のクラスタ。別の人や別のクラスタにやらせているとわかっている、“商流の上流のさらに上”にいる人たちが目をつけるのも、やっぱりこの種の人たち。

 

目先の利益に左右されるこの種の人たちから動かぬ証拠を集め、集めたうえで“商流の上流”にいる人を“商流の上流のさらに上”からぶん殴りにくる。

 

争いは、同じような人たちの間でしか生まれない。

 

どこまでいってもやられたらやり返すを延々と繰り返すのは、不名誉街道を邁進させられている証拠。

 

“逆らったらより恐ろしい目にあわせてやる”と、商流の内側に囲い込んだ最終消費者への転嫁にもやがて限界がくる。転嫁できなくなったら、次は転嫁を強要する側にも犠牲、身銭を切る段階が訪れる。何しろ兵糧攻めは、食わせる相手が多ければ多いほどよく効くものだから。

 

身銭を切って最終消費者と同じレベルにまで来て価格決定権を失ったら、より外側、“商流の上流のさらに上”にいる人たちから見たら、内も外もなく混然一体となって、お前らみんな一緒状態の運命共同体が完成する。

 

内も外もないのに、何やってんのさ。

 

という価格交渉を阻むぶ厚い壁に覆われた、壁の向こうとお話したくてしょうがない人たちは、そりゃ交渉や駆け引きが得意な人材を重宝するわな。

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少し前の、一点の曇りもなく気持ちよく晴れた青空。

観光のトップシーズン入りしたというのに、お天気は冴えない。少し前は、暑過ぎず寒過ぎずでちょうどいいお天気が続いていたのに。お散歩びよりで気持ちよく晴れ上がった青空のもと、カラスも気持ちよさげに水浴びしてた。