クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

あれ、俺・私がやったと誇れないこと

イギリス東インド会社という私企業に支配され、有名無実化していたインドのムガール帝国が名実ともに滅んだのは、セポイの反乱がきっかけだった。

 

私企業が、本国イギリスの10倍以上という広大な外国を統治するには、現地人の協力が欠かせない。東インド会社に傭兵として雇用されていた人達がセポイで、上官はイギリス人。そのイギリス人が、セポイにとっては宗教上のタブーを強要したことが、大規模な反乱が起こるきっかけとなったんだから、宗教上のタブーは侮れない。

 

現在から振り返れば、宗教上のタブーを強要したといっても、そこにはディスコミュニケーションがあり、そもそも相容れずにくすぶっていたところに飛びきり燃えやすい燃料を投下したら、ムガール帝国まで燃えちゃったようなもの。

 

燃えるついでに東インド会社も道連れにし、セポイの反乱がきっかけでイギリス東インド会社も解散し、以後はイギリス女王がインド皇帝としてインドを統治する。

 

見方を変えれば、宗教上のタブーを強要したと勘違いされるようなことをしたイギリス人の行いは、結果としてイギリス、それも女王にプラスに働いている。自身が働いていた会社は潰れちゃったんだけどさ。そもそも交易権を独占していた東インド会社の従業員は、その立場を利用して存分に私腹を肥やしていた。

 

産業革命が始まり世界各国で独立戦争が起こるような世紀の変わり目は、投資先を間違えず、国家よりも資本に忠誠を誓えば、国家をしのぐスケールで私腹をこやすことも可能だった時代。

 

国家をしのぐスケールで私腹をこやしつつあった資本家集団から富の源泉を奪い、直轄地として国が統治することは、資本家集団への牽制にもなる。時には国の名をチラつかせながら好き勝手されて、国家より強大になって制御できなくなったら困りもの。

 

ついでに、そもそもイギリス東インド会社による支配を受け入れ済みで、なかば飼い慣らされた相手を飼い殺しにする、絶好の機会であったともいえるかも。

 

私企業による支配に引導を渡し、有名無実化していた帝国は滅亡し、その後の植民地経営は帝国内各地に散らばる保守系藩王国保護に変わって弾圧も緩くなれば、独立を叫ぶ声も一旦遠くなる。

 

一体誰が、宗教上のタブーを利用してセポイを焚きつけようとしたのか。不名誉かつ宗教上のタブーという危ない橋を渡った人物の名は、現在まで伝わってない。

 

不名誉なことは、反乱が起これば真っ先に謀殺されるようなポジションの人物にやらせたものか。あれ、俺・私がやったと大声で触れ回れないことは、だいたいいつも闇の中で、藪の中。宗教上のタブーを利用して反乱を起こさせるのは、藪をつつけば蛇が飛び出すようなできごと。

 

自分が働いていた会社が潰れても構わないような危ない橋を渡れるのは、雇用されてる会社がそんなにもイヤで嫌いだったのか。との邪推も捗り、きっかけを作った人物の”その後”は、伝わってないだけに興味をそそる。

 

世紀の転換点となったできごとなのに、誰が企画して実行したのか。詳細が伝わってないと陰謀論がそこに生まれ、実態以上に胡散臭く見える、イギリス東インド会社セポイのイギリス人上官たちかな。

 

その逆に、大きな功績があったにもかかわらず、不名誉な罪を着せられた人の名前は、だいたい後世までちゃんと伝わってる。途中でその名が途切れた時は、また潮目が変わり、世紀が変わったサイン。