クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ポプラの綿毛はファンタジック

書いたことが逐次現実になってしまったら、良心的な物書きの人から筆を置く。

 

逆に言えば良心的な物書きの人、博覧強記の勉強家で私情を排したバランスのいい文章を書ける人に筆を折らせたかったら、その人の書いたものを片っ端から現実化していくに限る。うっかりネガティブなことを書けばネガティブな現実がやってくるかと思えば、最終的には書けるものや書くことがなくなってしまう。

 

それならとポジティブなことを書きまくってポジティブな現実、バブルがやってきてバブルに踊ってもいいけれど、バブルが弾けたら借金の山。あるいは予算超過や赤字が明らかになるばかりだったら、それもまた恐ろしい。

 

書けるものや書くことがなくなっても本業が物書きで、食べていかなきゃならない人たちだったら、強制的に別の分野に仕事を求めることになり、結局は人が足りない分野へと移動することになる。

 

言ってみれば、ペンという武器に対する静かなテロリズム。良心的な物書きの人がいなくなったあとに、フィクションをノンフィクションに変える技術というよりもトリックだけが温存され、フィクションをノンフィクションに変えようとペンを取って張り切る人の姿は、良心からはほど遠い。

 

あったま悪そうで、性格も悪そう。

 

神様きどりで神様の箱庭で遊んでいると見えなくもないけれど、人の世に干渉しまくる神のごとき姿からは、聖性はこれっぽっちも感じられない。俗にまみれていて、どっちかっていうと小姑の集合体っぽい。鬼千匹×千人の集団がもしあって、その集団を率いてくれるリーダーは、リーダーというよりもはや鬼千匹×千人を鎮めるための人柱っぽい。

 

頭悪くて性格の悪い人だらけになった集団で、そこには過去の良心的な姿はこれっぽっちも見つけられなかったら、その真逆の人たちはためらいもなく情を断ち切ることができる。

 

法的拘束力もなく、不法行為を働いたツケ。高くついて大変ねー。

 

ただ単に書かれたことが現実になって喜ぶ姿は、何かの占いがあたって喜んだり落ち込んだりする姿と相似形で、科学的思考や合理性とはほど遠く、その分だけ神秘主義に近い。

 

テロリズム神秘主義の横行は、どう考えても傾国の予兆っぽくていただけない。住んでる国や土地に傾国の予兆を見つけて喜ぶような人は、どう考えても変でしょ。戦だ戦だと張り切るような人は、まずはシビアな経済戦争における最前線の歩兵あたりになって24時間戦ってもらい、争いの無意味さを体感してもらうのがいいんじゃないすかね。

 

経済戦争における最前線の歩兵は、いつだって絶賛募集中。

 

ポプラの綿毛が、フワフワと宙を舞う季節。切り取り方によってはファンタジックで、切り取り方によってはお掃除が必要な浮遊物で、どう解釈するかで同じものを見ていても見えているものは人によって違う。

 

地面に降り積もる白いポプラの綿毛も花びらも、そもそも一分一秒を争う人が歩く場所じゃなかったら、ただきれいと思ってながめる派。