クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

簡単な見分け方

デジタルの一番の特徴といえば、なんといってもコピーが容易なところ。だから複製されることも前提に、フェアユースにも前のめりだとよりデジタル寄り。勝手にフリー素材認定して無料で使えるフリー素材代わりに便利に使いながら、自分のものでもない著作権を主張するのは、デジタル寄りでも何でもなくて単なるチート。

 

チートに対してより厳しいのは欧米寄りで、チートにも甘いのはアジア寄り。という理解をしているけれど、数の上では欧米を圧倒するアジア、特に新興国ではその辺りはどうなっているのか謎。

 

一方では不正により厳しい態度で臨む中国のような国があるけれど、人口で匹敵するインドでもやっぱり「上の方」はそうなのか、それともまた別なのか。

 

新興国を旅すると、例えば税関などで賄賂を要求され不快な思いをしたという話もひと昔ならよく聞いた。「上の方」の人たちの掲げる理想、例えば汚職や腐敗撲滅といった立派なスローガンを掲げながらもその実、木っ端になればなるほど規律が緩むのが非先進国。

 

先進国への道を歩み始めたかつての新興国は、先進国への歩みを逆回転させ、かつてのダーティなイメージを復活させるものはきっと好まない。

 

リーダーが弱い者いじめをしている気配を敏感に察し、より過激に弱い者いじめに精を出しながら、責任を取るのはまずは上からと言いがちなのはズルい人。リーダーが率先垂範していいことをやっている時には華麗にスルーで、多様性あるいは自己決定権を主張して決して真似しないのもやっぱりズルい人。

 

ズルい人はズルやチートがしやすい場所に移動しがちで、似たもの同士でつるみがち。わざわざ真似を強要しなくても、勝手にその振舞いをコピーして、積極的に模倣してる。そもそもチートに抵抗がない人たちに、チートすればするほどメリットがあるような仕組みを教えると、勝手に増える。

 

コピーが容易で模倣にも抵抗が薄いからそもそもデジタル向きで、デジタル向きの人を増やしたい時にはそれでよかった。でも、デジタルファーストとなったら模倣すべきお手本がない状態から始めるから、コピーしかできないあるいは模倣しかできなかったら、デジタルファーストに向いてるとは言い難い。

 

そもそもコピーが容易な世界でオリジナルか否かを素早く見抜こうと思ったら、何を言ったかより誰が言ったかで判断する方がより簡単。

 

イチから仕込んで、チートに流れる人と決してチートに流れない人とに分けて、たやすくチートに流れる人はデジタルファースト以外の場所に送り込む。くらいのこと、デジタルファースト実現のために動いてきた人たちなら、やってると思う。