クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

行動を促すフォーマットは、不安を煽りにくる

“牡牛座のあなた、気が優しくて力持ちなあなたの今年の運勢は、とってもラッキー。金星が火星に大接近する10年に一度の今年は、何かを変えたい・変わりたいという気持ちのままに行動すると、よい結果と循環が生まれる好機です。引っ越しや転職、これぞと思う相手や物件と巡り合ったらためらうことはありません。ラッキーアイテムは斧。凶となる方角は北北西。引っ越しの際には避けた方がいいでしょう。”

 

とか何とか。別に水瓶座でも天秤座でも何でもいいんだけどさ。

 

今年ベストセラーとなった、誰もが知る巨人を取り上げた本を流し読みした時、咄嗟に思い浮かべたのは「不安産業」。不安になるような、不吉なことが書き連ねてあるから。不安を煽って不安に対する備えになるものを売る、その種の商売でよく見る奴だと思った。

 

個人の行動が逐次追跡されるなら、アドブロッカー入れるしセキュリティソフトも入れる。うん、相手の思う壺。

 

次に思い浮かんだのは、「占い」。

 

まず全体像を明らかにしてその特徴を詳述し、「土星と火星が接近するから凶」あるいは吉とか、科学的根拠の薄い科学っぽい説明つきで、こういう状態がやってくると予言する。

 

その上で、幸運を増幅するあるいは凶運を避けるための処方箋を明らかにし、その通りに行動することを奨励する。占いはだいたいそういう構成でできていて、ざっくりした全体の印象が、占いそのものだったから眉に唾つけてる。

 

かつては、女性誌なら必ず載っていたのが占い。女性誌そのものを滅多に買わなくなった今は、どうなってるのか知らね。どうなってるのか知らないしわからないから、牡牛座の性格もデタラメ。サンプルがないから適当。ただ、趣味性が高く好きな人は好きな分野だから、アプリで愛好してる人はきっといる。そういうジャンル。

 

なぜそれがラッキーアイテムになるんだ???

 

と、ツッコミどころいっぱいのアイテムが、ラッキーアイテムあるいはアンラッキーアイテムとして紹介されるところがザ・エンターテイメント。たいていはそんなに高価なアイテムではなくて、例えばダイヤモンドやドラム式洗濯機、あるいはスポーツカーといった値の張るアイテムが紹介されることはない。富裕層向けに特化してゾーニングされた界隈では、また事情が違うのかも知れないけどさ。

 

たいていはそんなに高価なアイテムではないから、厄払いとしてちょっと不安に思ったことを打ち消すつもりで、衝動買いや無駄使いしても許せる範疇のもの。

 

衝動買いや無駄使いしてもらうために財布の紐を開かせる、恰好の口実となるのがラッキーアイテムでアンラッキーアイテム。

 

上手に運用出来たら、個人消費がはかどりそう。ラッキーアイテムやアンラッキーアイテムとして取り上げるものにもさしたる意味はなくて、紹介する方がただ売りたいものを順次紹介していけば、在庫処分にもなって無駄もなし。

 

四社四様の巨人を逐次紹介した本は、もともとアメリカで出版されたもの。原著は読んでないから、原著のニュアンスまでわからない。だけど翻訳バージョンは、占いや不安産業を想起する書きぶり。

 

わざとかも。

 

書き手の人が敢えて、その種の「未来はどうなるのかしら?」と読者が不安を感じた時に手に取るようなものに似せ、「未来はどうなるのかしら?」と思った時、読者の不安に応えるように書かれるものなんて結局は眉唾で、エンターテインメントでしかない。

 

と、暗示でもしているのか。季節の風物詩でエンターテイメントとして読み飛ばす程度なら、いいんだけどさ。

 

雑誌というパッケージは、眉唾なものも一緒にまとめて目にする機会があったから、これは眉唾で賑やかし。という位置づけだったことを、ごく自然に了解してた。だから眉唾で賑やかしだったものは、今でもまともに受け取る気にはならない。

 

パッケージではなく単体売りが主流となって、単体売りが主流となったから「占い」というニッチなジャンルを飛び出して、看板付け替えただけのものを売り出しても、きっとわからない。わからないだろうという読みがあったら、大胆なこともできる。行動を促すフォーマットは、いつだってどこだってアクティビストの恰好のゆりかごになる。

 

このフォーマット、どう考えてもアレじゃん。

 

というアレなものが脳裏にチラついていると、眉唾も加速する。そもそもアレじゃんというアレなものに対する免疫がなく、免疫がないままアレなものに接し続けると、感染する。あるいは汚染される。

 

ただ好きで、今日のあるいは今週の運勢はどんなもんかいなと無邪気に楽しんでいた。それだけなのに、いつの間にか何だかよくわからないものを担がされて、さぁ皆さんご一緒に行動で示しましょう!と拳を突き上げるよう強要される。何でだよ。

 

何でだよという疑問の声さえ上がらなくなったら、完全なるゆりかごが完成する。だから声さえ上げられないように、声を上げた、あるいは大声をあげそうな人や物を狙い撃ちにする。

 

下世話なあるいは下賤なものとは縁遠くて、免疫がない。悩みを抱えた時に誰かに相談しようにも、相手を選ぶ立場だからうっかり愚痴もこぼせない。同じような悩みを抱えてそうな人といえば、みな競争相手。という境遇になりがちなのは、職位の高い人。

 

職位が高く大きな権限を持った人に、アレなものが接近してきたら厄介ねー。大変ねー。アレなものを、チャリンチャリンと日銭が入るお財布として重宝してるタニマチでもついていたら、もっと厄介ねー。大変ねー。

 

こんなものを売って儲けて、それで何になって誰が得してるのさ。という嫌韓本や嫌中本の類と一緒で、こんなものを売って何になるのさ。というものは、扱わないに限るやね。

 

趣味性が高くて好きな人は好きな分野で、愛好してる人は底無しにお金を注ぎ込んでしまうようなジャンルは、チャリンチャリンと日銭が入るお財布にならないようにするのも大変ねー。

 

好きなものや大事にしてるものは、道具になんかしないさ。

 

冒頭の文章は、占いってこんな感じでしょ?とテケトーに想像で書いたけど、書いてみてわかった。フォーマットが決まってるから、簡単で書きやすい。簡単だから自動化もしやすそうで、本家の占いも最早ヒトが書いてる物でもなく、自動化や自動書記をめざしたAIの恰好の練習場にでもなってるのかも。つまり、テクノロジーに強いってことさ。

 

厄除けに厄払い。そもそも運を呼び込むため、不安を打ち消すためにはお祓いしてもらうという基本行動が染みついていたら、ちょっと目先の違うもので厄除けに厄払いしませんか?と持ち掛けられた時にも前のめり。

 

崇拝してるものや大事にしてるものは、道具にしない。心理的抵抗なんて微塵も感じず、特に崇拝も大事にもしてないから、道具にするしできるのさ。