クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

それは事実ではなく気分でしょ

流されやすい人と、意思が強くて意思を貫く人と。どっちが魅力的かというと断然後者で、御しやすいのは流されやすくて意思の弱い人。

 

意思が弱くて流されやすい人たちをひとつの大きな集団にまとめ、はい皆さんご一緒にで「もうダメだ」とあちらこちらで同時多発的に悲観論を垂れ流したら、実態以上に世の中は悪くなっているように感じられること間違いなし。

 

必要以上に世の中が悪くなっているように見せたい人は、悲観論の垂れ流しを好み、必要以上にこれからの世の中は希望に満ちているように見せたい人は、楽観論の垂れ流しを好む。

 

どちらにしても、「そういや選挙が近かったよな」という動かしがたい事実を第一に、消費税増税も控えてたよねという既定路線も合わせて勘定に入れると、悲観論を垂れ流したい人の正体も、楽観論を垂れ流したい人の正体にもだいたいの見当がつく。

 

「もうダメだ」となったら投げ売りが始まる。今は相場が高くて手が出せないものも、連鎖的に投げ売りが始まったら、お買い得なバーゲン価格で欲しかったものがたんまり手に入る。

 

持たざる人は、そうやって欲しいものを手に入れつつ持てる人になっていく。欲望希薄で意志薄弱な人ばかりになると、欲望に忠実かつ意思が強くて意思を貫く人は、思う存分自らが思うところを実現しやすくなる。

 

回りまわってみれば、結局は自己中の方がお得なことがくっきりはっきりしたら、利にさとい人ほど自己中になる。最初から最後までカネカネカネとお金のことしか考えてなかったような人は、お金のことでガツガツするのはみっともないけれどお金は欲しい人にとって、とっても使い勝手のいい道具。

 

そんなつもりはちっともなかったのに。気付いてみたら、もっとも使われたくないタイプの人たちにとっての使い勝手のいい道具に成り下がってることを自覚したら、舌噛んで死にたくなってもしょうがない。

 

使い勝手のいい道具のままでいることは、流されやすいことと同意。使い勝手のいい道具をやめることは、辞めたいという意思を貫くことと同意。

 

使い勝手のいい道具のままであり続けたら、そりゃ愚痴のひとつやふたつやもっとたくさん、ついには「もうダメだ」と悲観論を垂れ流すようになってもしょうがないやね。そうなるに決まってる、そうなるように仕向けられたレールの上から降りなかったんだからさ。