クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

より好み

コネに縁故にリファラルに。呼び方はいろいろあっても、要するにこれらはより好み。

 

より好みが許されるのは、そこがプライベートだから。プライベート100%だったらより好み100%でも本来なら無問題。

 

好き嫌いが支配する世界で好きを磨くのは、正攻法。だから嫌いを貶めることに精を出すのは、正攻法とは真逆の方向性。好き嫌いは表裏一体で、好きに磨きをかける手法を反転させると、そのまま嫌いを貶める手法になる。

 

だから、好き嫌いが支配する世界は結局のところワンパターン。

 

多様性に欠けるから、想定外に対しては対処できなくなる。ワンパターンであらゆる事態に対処しようとすると、表裏一体の一枚岩をどこまでも大きくしていくことになる。

 

ところが際限なく膨張することはできず、どこまでも大きくなれないことがすでにわかっていたら、ワンパターンは選べない。

 

あらゆるパターンに対処しようと思った時、好き嫌いのワンパターンだけだと選択肢が限られる。好き嫌いよりももっと幅広く選択肢を用意するのは、あらゆるパターンを想定しているから。

 

不況なんて誰にとっても嬉しくない事態だけど、あえていい面を見つけようとしたら質が上がる。

 

稼ぐ必要のある人やモノは仕事を選んでられないから、それまで選ばれずにスルーされてきたような場所も、瞬間的に質が上がって底上げされる。とはいえ底上げに貢献できるような人やモノは、ミスマッチな場所にたまたまやってきただけだから、無駄に長居しない。

 

その人たちまでダメ出しするんだったら、もう絶対ダメじゃん。

 

というようなモノや場所には執着も長居もしないから、淘汰も進む。淘汰が進むから全体のレベルも底上げされて質が向上したのは、そういや不況の時だったね。

 

という故事を懐かしく思い出す向きにとっては質を上げる好機で、好況が続いたあおりで質が下がって淘汰も進まず、どうしようもないよりはるかにマシ。と、思う人が想像以上に多いと、空前の大不況がやってくるのかも。悲観は気分で楽観は意思で、意志あるところに道は開けるとか言うからさ。