クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

視線は上向き

上から下されたものは有難くちょうだいし、下から推戴されたものには興味関心が薄い。

 

ビスマルクの出身母体である、土地貴族層でプロイセンにおいて保守的な高級官僚を多数輩出したというユンカーの思考回路を単純に見れば、そんな感じ。

 

保守的な人には、おおむね見られる傾向ではあるんだけどさ。地代収入という副業あるいは財産が確固としてあるから、官僚としての本務は多分に名誉職じみていて、名誉職だから名誉を汚さないことが第一になって、保身に長ける。

 

視線は上向きで、下から推戴されたものには基本興味関心が薄いから、例えば血涙で塗り固められ差し出された寄付であっても、血涙の部分には重きを感じないし感じられない。

 

差し出されるのが当たり前になったら、もっと持ってこいやで下からもらえるものの有難みは限りなく薄れ、上から頂戴するものしか有難みを感じない。

 

差し出しがいのない人には、何差し出しても空しいだけ。封建制でなくなり義務でもなくなり自由意思が尊重されるようになったら、この種の人のもとには何も集まらなくなるから、制度の存続を願った彼らがより保守的になるのも道理。

 

普仏戦争に勝利した結果とはいえ、ヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝の戴冠式なんてやっちゃったもんだから、フランス人のドイツ帝国憎しという感情に火を付けたような気がしてしょうがない。

 

普仏戦争では、アルザス・ロレーヌ地方が取られちゃって、巨額の賠償金も課せられた、その屈辱。第一次大戦に負けたドイツが今度は巨額の賠償金を課せられ、領土も大きく失ったという流れを見ると、やられたらやり返すでもぎ取った講和はひどく不安定。

 

プロイセンドイツ帝国になって国際政治の舞台に躍り出て、きっと国内には高揚した気分が満ちて。足るを知らない高揚した気分のまま大国として振る舞ったら、より古くからの大国に次は足元をすくわれた。

 

視線がもう少し下向きだったら、自分たちに向けられている、あるいは向けられるに違いない悪意にもう少し敏感で、もう少し穏当な第一次世界大戦の結果を迎えられたのかもね。というたらればのお話は、過去の歴史ではなく未来に生かすもんよな。