中間層が消滅する理由は簡単で、お金持ってない人はお金持ってる人が好きだから。
食うや食わずで持たざる人の声に耳を傾けたら、お金が欲しいあるいは仕事が欲しいという返事が返ってくる確率は跳ね上がる。欲しいのならあげましょうと、欲しかったものをくれた人に対しては、相応の礼儀でもって報いようとするから、持たざる人と持てる人が接近する。
欲しいのならあげましょうと、仕事あるいはお金がポンと出てくるような人は桁違いだから、桁違いの恩恵を受けた持たざる人は、中間層をすっ飛ばしてお金を持ってる側に周る。すっ飛ばされるから、中間層が消えてゆく。
嘘かホントか知らないけれど、年齢があがるほどに反保守の傾向が見られるとの分析には一理ある。年金で生活できる人たちは、言ってみれば潰れない会社に再就職を果たしたようなもの。生活不安と縁が薄い人たちは持たざる人じゃないから、持ってる人だからといって無闇に持ち上げたりしないし、する必要もない。
お金が欲しいや仕事が欲しいの代わりに、暇つぶしになるものが欲しいという返事が返ってくる確率は跳ね上がり、暇つぶしするなら社会貢献もできるものがいいとなって、保守に寄るよりも反保守に寄ると思えば違和感はない。
ただし反保守となって身銭を切っていられるのも、潰れない会社に再就職を果たしたからで、潰れないはずの会社が潰れそうになったら事情は変わって掌返してもやっぱり違和感なはない。
生活不安と縁が薄い、薄かったはずの人たちに掌を返された反保守であっても、その頃には中間層をすっ飛ばしてお金持ってる側にまわった世代が育ってきてるから無問題。欲しかったものをくれた人に対しては、相応の礼儀でもって報いようとするから、保守の対抗軸として反保守に寄るくらいなんでもない。多分。
社会を変えるツールとしてのお金の長所をフル活用し、お金と仕事が欲しい人に欲しいものを行き渡らせたら、次はより高次な次元で社会を変えるツールとしてお金を活用することができる。
はずなんだけど。
数が増え過ぎると秩序が乱れ、社会を変えるツールとしての法定通貨の価値も損なわれる。社会を変えるツール、法定通貨じゃなくてもなれるしできるじゃん。となったら、法定通貨ありきで整備してきた社会基盤整備というロードマップが崩れるから目の敵にされる。
差し迫った生活不安とは縁が薄く、暇があって、なおかつ反保守寄りのクラスタ向けのものを扱ってる人たちは、見込み顧客が減った時にはどうするのか。商売替えするなら現実路線で、いないなら作ろうで顧客の創造に熱心になるなら非現実路線。
そもそも現実離れしていて生活臭が薄い。あるいはまったく生活臭がしない側にいると、非現実路線との親和性もより高くなる。生活臭がうすいと非現実路線に目を付けられがちで、目を付けられがちだから、めいっぱい生活の匂いを振りまいておくのはお守り代わり。