クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

お互いさまにならないものは、みんなゴミ

お互いさまにならないものは、みんなゴミ。

 

風に乗って運ばれてくる、花びらに葉っぱを風流と思うかゴミと思うか。自分でも育てている人にとっては、何とも思わないもの。育てる趣味も愛でる趣味のない人からみたら単なるゴミで、それ言い出したら地獄の始まりだから言わないだけ。

 

同じ論法を他の物や分野に持ち込んだら、好きなことはなんにもできなくなる。

 

ついでに、盗むものがなくなったら盗人稼業はあがったりで、盗った方は忘れても盗られた方は忘れないから、盗られやすいものを盗られやすいところにわざわざ置いたりしないだけ。盗られやすいところに置いておくなら盗られても構わないものか、盗ったところで換金性の薄いものに限るやね。

 

あるいは是非とも盗んでもらいたい、処分に困ってるようなものこそ、盗られやすいところに置いておくべきか。東京都下の一部では、燃えるゴミもいまだに無料だそうでうらやましい。

 

インターネットには間違った情報も多いのは一面の真実で、真偽不明な情報の方がみつけやすくて拡散しやすいくらいが正解かも。かもかも。そもそも正確な情報なんて、ごくわずか。大本営発表が信じられないから反論が出て、重箱の隅をつつくような些事の掘り返しが始まって、結局正しいごくわずかな情報が多数の不正確かつ不親切な情報に埋もれていく。

 

正確か否かよりも、そもそもが不親切(と思われやすい)だから親切な誤情報あるいは真偽不明な情報の方が取っつきやすくて拡散もしやすいのかも。ツルハシ売る方が、儲かる的に。

 

ツルハシ売る方が儲かるんだったら馬鹿らしくてやってられないと、金鉱が閉鎖されたらツルハシ屋さんもあがったり。ツルハシ屋さん、道具が儲かり過ぎて商売に熱心になり過ぎると、そもそも何のための道具だったのか当初の目的も薄れがち。

 

その道具は、そもそもは金鉱を掘るためのものだったでしょ。金が獲れない金鉱の前で、ツルハシ売ったってしょうがないから、ツルハシ屋さんも商売替えの頃合。

 

トリックオアトリートで、お菓子をくれないなら悪戯しちゃうぞ☆が許されるのは、愛らしいちびっこまで。とうがたった、愛らしくも子供でもない人が、ユーモアの欠片も感じさせない悪戯で恫喝したら、警察呼ばれてもしょうがない。

 

ユーモアのベースには教養必須で、ユーモアを感じさせないってことは教養の欠如と同意。ユーモアなき悪戯でやってやったと得意顔になれば、教養ある人々からは心の中で大きくバッテンつけられてポイっさ。

 

というようなことを、ユーモアをまじえて語るのは難しいやね。

 

マイノリティを自分なりに定義すると、代わってその地位や立場に立とうとする人が、いない場所に居る人くらいに思ってる。その立場になりたいと、次から次へとワナビーが現れるなら、いくら数が少なくてもその人はマイノリティーとは言い難い。