クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

メジャーブランドが新しくなる時

和食を作る機会がいつもより1.5倍増し以上増える12月1月は、いつもよりも“いい日本酒”を料理酒として使う。

 

料理用ではなく飲む用のお酒を使って作ると、いつもと同じ分量で作っても甘口に仕上がったり辛口に仕上がって、味にバラツキが出るから飲み口の違いを実感する。料理用として売られている料理酒は無個性に感じるけれど、無個性はバラツキのなさやゆらぎのなさに繋がって、カロリー計算も余裕でクリアーできるから大量消費しやすくなる。

 

原材料であるお米が違えばお米の磨き方も違う。だったら、出来上がりの味は違ってくるはず個性が生まれてくるはず。

 

年度(作柄)によれば使う日本酒の銘柄によっても味がゆらぐ方が普通で、本来味にゆらぎがあるものを使っているはずなのにゆらぎなくいつも一定だったら、ゆらぎ=個性が生まれるようなものは使っていないということになる。

 

今ではどこのスーパーでもコンビニでも副菜になるような食事、ポテトサラダやきんぴらや煮物を売っているけれど、あれは本来家庭の味で家庭の味という個性に馴染んでいると食べる気がしない。

 

逆に、均一や一定に安定という個性に馴染んでいると、時々は甘過ぎたり辛過ぎたりとゆらぎのある個性は馴染まないということもある。

 

一日に摂取する総カロリー数は、何キロカロリーまで。塩分・糖分・タンパク質・炭水化物は各々いくらまでという縛りがきつくなると、味は二の次三の次でカロリー計算しやすいものがベストになってカロリー表示と成分表示のあるものが、最も好ましいものになる。

 

ちょっと食べ過ぎちょっと太り過ぎを気にする人はそれなりに多くても、毎日厳密にカロリー計算された食事を心がける人はそんなに多くはないはず。

 

厳密に数字で管理されると“ゆらぎ”の登場するシーンも減って、ゆらぎの素そのものも少なくなる。

 

大手スーパーに並んでいる食品はどれもカロリー表示付きで、安定した品質だと思ってる。種類の豊富さと一定の基準をクリアした安定した品質を両立させるのはきっとそう簡単ではなく、簡単ではないからそこにゆらぎがあって個性が出る。

 

今日はどこに買い物に行こうかと考える時に考えているのはそのゆらぎで、どこに行っても最早ゆらがず個性が感じられないのならそこに個はなくあるのは均質や同一。

 

山ひとつ越えたところで個が感じられなかったらあとは海でも越えるしかなく、ものすごーく変わった場所に行かない限り程度の差はあれどどこに行っても均質だったらすでにどこも均質。どこに行っても均質だったら決め手になるのは鮮度や価格、あるいはアレンジのしやすさあたりになって個性の意味が変わる。

 

今日は甘いものが食べたいと思った時。脳内では洋菓子か和菓子か、生菓子か焼菓子か。あるいはチョコレートにマカロンと脳内チャートが限りなく分岐していくのは、引き出しが多いから。

 

アルコールになると、日本酒に洋酒、日本酒だったら……と、脳内チャートが活性化しないのは引き出しを持っていないから。

 

活性化しないとハレの日っぽいものを選ぶ時にも価格や外観(パッケージ)という個性に頼るしかなく、結局はアレンジしやすい=合わせやすい=無個性に落ち着いて、個性ある製品を売りたい作りたい側とバッティングしがち。

 

2022年の年末、2023年の年始に料理用に選んだのは、青いボトルで北海道限定、酒造好適米が北海道産だったもの。彗星100%使用とのコピーに希少さを感じてハレの日っぽいと選んだけれど、原材料に使用しているお米の種類を明示して売るのは何だかワインっぽい。

 

良い悪いよりも、好きかどうかの方が選びやすくて決めやすい時は、好きになれそうなポイントがわかりやすくなっていると選びやすい。

 

北海道産の山田錦使用というお酒も見掛けたことがあるけれど、酒造好適米としてよりメジャーなお米を使って作る北海道のお酒は、新しいものと古いもののコラボっぽいとも思った。

 

新しいうちは新鮮さや目新しさが売りになって、そう新しくもなくなると、ちゃんと作ったものかどうかが売りになる。ちゃんと作ってるし使ってると言えなくなると、個性を表した表示が消えて無個性なもの、例えば醸造アルコールみたいな表記に変わっていくのかも。かもかも。

 

目にする機会は、吟風 >きたしずく>彗星という順番だけど、東京あたりのアンテナショップだとまた違った結果になってそう。ゆめぴりかにふっくりんこ、ななつぼしという北海道米ブランドが通じる場所での序列であって、お米はやっぱりコシヒカリだよねという場所でのランキングはきっと違う。

 

ワインの原料となるぶどうの品種を眺めた時、へぇと思うような品種には「僕たち私たちが育てたぶどう」が一定量含まれていて、僕たち私たちが育てたぶどうやお米をここになら託しても大丈夫。そう思われた品種が量と質の両方を兼ね備えた新しいメジャーブランドとして、未来に君臨するんだろう。

 

急に気温が上がった札幌は、春先がいつもそうであるように埃っぽい。都合の悪いものはすべて覆い隠してくれる一面の雪は、なんて素晴らしいんだろうと思うのはすっかり雪が解けたあと。


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(まだ雪景色だった頃の、ちょっと郊外にある美術館のお庭。)