トム・ソーヤーは、言いつけられた退屈でイヤな仕事を楽しそうにやってみることで、代わりにやらせて!と言い出す子達を集めて退屈な仕事からは早々に解放される。
というエピソードはやっぱり今でも通用して、退屈でイヤな仕事でも楽しそうにやってみせるとやらせて!と代わりが見つかるもの。例えば他人のためにお金を集める仕事は楽しいお仕事じゃないのに、最初に誰かが楽しそうにやってみせるとあとは勝手に真似してくれる。
他人のために楽しく上手にかつお金をたくさん集められる人は、ファンドレイザーにぴったり。
最初からファンドレイザーめざして他人のために楽しくお金を集めてる人は、金持ってこいやと追い込みかけるようなヘマはしない。恫喝して金持ってこいやと追い込みかけることばっかり得意な人は、ファンドレイザーとは別の人種。危ないから、近寄っちゃダメ。
他人のためにお金を集めるお仕事。
上手く育てばファンドレイザーとしての育成コースに乗せて、追い込み掛けるようなヘマするようだと悪徳金融の取り立て屋コースに乗せる。楽しくお金集めるファンドレイジングが活発なのは景気がいい時で、厳しく追い込みをかける取り立て屋のリクルートが活発になると、景気も後退期。という見方もできるかもね。かもかも。
ついでに、楽しくお金を集めるファンドレイジングが活発な世界は、厳しく追い込みをかける世界とは切り離されて、そっち側からは見えなくなるのが分断化された世界。
楽しくお金集めるのが目的の人たちを個人攻撃で潰したり、重箱の隅をつついて欠点をあげつらう人が出てくると、集まるはずのお金も集まらない。だから主旨を理解しない人は入ってこられない世界に逃れるようになって、楽しくお金集めたい人と、楽しくお金を寄付したい人とだけでつるむようになるから。
人のためにお金を集めたいんじゃなくて、人よりももっと賞味期限が長くて、共通のホニャララとして記憶されるような何かのためにお金集めてるんだから。
人に嫌がられるお仕事に率先垂範して積極的に取り組んでる人、それも若者がいたら、そりゃ是非ともリクルートしたくなるやね。「他人のためにお金を集めるお仕事」の裾野は意外と広いから、最初はイヤなお仕事からのスタートでもそのうち楽しー♪に変わる可能性もなくはなし。
1万円かける12ヶ月で12万円
2万円かける12ヶ月で24万円
3万円かける12ヶ月で36万円
年間40万円を他人のために寄付すると聞けばハードルは高くなるけれど、月額に直せば絶対に無理と思うほどハードルは高くない。「他人のため」というハードルも、まわり回って結局は自分に還ってくる可能性が高くなると、低くなる。
縁もゆかりもない他人のために財布のひもを緩めるのは、楽しいか可哀そうのどちらしかない。ふるさと納税が楽しいのは、返礼品が届くと嬉しいから。どっちでもないのに払うのは課せられた義務だからで、監視の目が緩めば義務感も薄れ、払わなくなる。
まわり回って結局は自分に還ってくる可能性が高くなると、財布のひもは緩くなりがち。例えば出身校への寄付。母校の経済的基盤が厚くなり、在校生にとってお得なこと、例えば教授や講師陣のアップデートやあるいは学習環境のアップデートが可能になり、優秀な卒業生が増えるほど出身者にもプラスに働く。
とはいえこの種の、まわり回って結局は自分に還ってくる可能性が高いものにはお金を惜しまない人は、フルサービスに弱い人とも言える。
どうせ選ぶならオプションがたくさんついてきて、何があっても安心と思えるメタボなものを好みがち。一方不要なオプションは選ばない、自分で何とかするしできるというタイプの人にとっては、まわり回って結局は自分に還ってくるという効用は、そもそも期待してないだけに訴えるものがなく、効かない。
自分で何とかするしできるという人は少数派。少数派だから、たいていの人はまわり回ったら自分のためにつながる何かには、対価を払いがち。
世界最古の職業は、時代が変わってもきっと廃れない。他人のためにお金を集めるお仕事は、お金が絡むだけに謹厳実直であるべきと思われてきたけど、どうせお金を集めるなら、楽しくお金集めましょ♪に変わってもいい頃。
厳しく追い込み掛けるのばっかり上手なところからは、お金借りようと思う人もそのうち減っていく。”強面”が通用しない、強面とは真逆の方が、あっという間に圧倒的にたくさんのお金が集まるのを目の当たりにすれば、誰だって考えを改める。