クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

叩き売り

カボチャに髑髏にその他。

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これはバラ。

日々値段が下がり続け、叩き売られていくハロウィン関連グッズは、ハロウィンももうすぐそこと教えてくれる。シーズン商品は在庫抱えてもしょうがないから、旬を過ぎる前に叩き売りたいわな。

 

教育や教養といった、形のないものが高価な国ではモノは究極まで安くなるから、マテリアルガールにボーイになるのはわりと簡単。アウトレットモールにシェアリングと、安くモノを所有する方法も増えて、局所ではもうモノは有り余っている。

 

巨大な無人倉庫の中を縦横無尽にロボットが行き交う光景は、人間を苦行から解放した姿。楽しくおしゃべりする暇もなく、次から次へと繰り出される規則性なき注文に応えるために走り回って消耗する人がいるとしたら、あんまり楽しそうじゃない。

 

逆に、客なんてだーれも来ないのに職場に拘束され、拘束されている時間内でできることも限られ、暇な時間を暇なまま過ごすしかなかったら、それも苦行。

 

苦行がお金に代わる。それも、永遠ではなく一定期間や限定された時間内なら、苦行をお金に変えようとする人は絶対に出てくる。誰かを笑顔にして感謝されることでお金もらって生活することは決して楽じゃないから、楽にお金を稼げる苦行を敢えて選ぶ人は、一定数居る。

 

苦行に耐えることにインセンティブが働くのなら、いつまでたっても苦行はなくならない。だからキツイ汚い危険な職場を、人間ではなくロボットに置き換える動きは人道的。

 

苦行に耐えていた時間で、誰かを笑顔にして感謝されるようにしましょと促しても、人の嫌がる苦行がもはや苦行ではなく天職となってしまった人にとっては、建設的なことはいまさら難しい。

 

破壊が習い性となった人に建設的なことを勧めても、スクラップ&ビルドを繰り返すだけ。

 

ありふれたモノの値段は下がり続けていくけれど、評価が定まったモノの値段はゼロにはならず、ヴィンテージあるいは巨匠作と持て囃されて価格が高騰していくから、破壊が習い性になった人が次に破壊するのは、評価が定まったモノ。

 

評価が定まったものの中味をすっかり入れ替えて、それでも高く評価するのかとモノを見る目のない人たちを翻弄する遊びくらいやりそうで、だから今現在台所が苦しそうな業界で過去に評価の高かったモノは、現在の目で見て信用するに足るかどうか見極める必要もあるから面倒くさい。

 

永仁の壺事件現代版、ジャンルは古美術に限らないをそこかしこで同時多発的にやられたら、文化なんてすっかり破壊される。

 

容易に破壊可能な状況で、うっかり何かを褒めれば災いとなって還ってくる可能性も十分にあるから、気軽に信認なんて無理筋。褒める必要のないものは褒めなくていい。文化を破壊したいのはどんな人たちかと考えたら、非文化的なものと親和性が高いと考えるのが自然さ。