クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

民族大移動

イヤガラセができる立場に居るなら、その人はもう弱者でも何でもないじゃん。

 

だから手厚く保護する必要もないよねという価値観と、イヤガラセができる弱者だからこそ使い道もあるという価値観は、弱者がいなくなるまで続くよどこまでも。不毛な対立が長引くほどに得する方は、どこからでも弱者をかき集めてくる。

 

欲しいものは、DIYで何でも自分たちで作り出す。その種の人たちは、弱者を無理やり作り出すのもお手のもの。枯渇しそうになったら、無理やり作り出す。もうね、無理に作り出してる時点で論理は破綻してる。それだけでなく、弱者を必要とする弱者の守護神の存在意義も、空中分解してる。

 

弱者の守護神の存在意義が希薄になったら、次にめざすは強者側。

 

君ら、弱い者の味方じゃなかったのか???と思うクラスタが、大挙して強者の守護神サイドに移動し、ペンと剣が一緒になってより強きをめざすようになったら、それ昔もあった光景で、映像の世紀のようなドキュメンタリーではしょっちゅう見かける。

 

そもそも個が確立されてない個体を、自我が芽生える前から囲い込んでおくと、視野狭窄かつ盲目的になりがちで、よからぬ目的をもった人にとっては何かと都合がいい。

 

ところであなたはだんだんきれいになると、貧しくて物も買えなくなった伴侶その人に向けてというより世間に向けて広言してた人は、戦争が始まると大喜びし、今度は戦意高揚を吹聴するようになっていた。

 

嘘やごまかし。口から出まかせ。口から先に生まれたきたようなと表現は色々あるけれど、ようするに手よりも口の方がよく回る人が、陥りがちな思考と行動パターンを垣間見れて面白い。

 

形なきものを尊び清貧を歓迎してた人が、破壊行為を歓迎するようになるまでは、ほんのちょっと。

 

目に見える形で立派なものを作ろう残そうと築き上げてきた、形あるものが瓦礫となって喜ぶ形なきものをより尊ぶ人の頭の中は、一体どうなってんのさ???

 

という視点で考えると、イヤガラセができる立場にいる弱者で、形なきものを尊び、形あるものの破壊を喜ぶ人、最悪。