クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

嘘がない

最高気温も最低気温もマイナスとなった真冬日

 

運動不足解消も兼ねて、買い物ついでに遠回りすると体が冷え切った。冷え切った体を温めるのは、暖かい飲み物に暖房。いちばんよく効くのは暖かいお風呂。ついでに冷え切った心を温めるのは、カワイイもの。

 

可愛げのないものは、冷え切った心をさらに凍り付かせる。だからイヤガラセするんだったら、可愛げに欠けるものを出すに限るわな。

 

良心と道徳は、似てるようでちょっと違う。

 

道徳的な人というと、イメージとしてはちょっとお堅い。道徳に忠実すぎて、杓子定規でものごとを解釈しがちな人をイメージするから。一方良心的な人というと、もう少し柔らかいイメージで、道徳をわきまえつつより誠実で、その立ち居振る舞いに嘘がなく、真心がこもってそうな人をイメージする。

 

フィクション上の設定では弱きを助け強きをくじくことになってる人が、実生活ではその逆で、強きを助け弱きをくじくばっかりだったら興ざめ。

 

大衆迎合のわかりやすいイメージは、大勢の人の前では、弱きを助け強きをくじく“振り”を上手に演じながら、その実体は弱い者いじめが大好きで、大勢の人の目が届かないところでは、嫌がらせを繰り返すような人。

 

強い弱いの判断基準も恣意的で、要するに気に食わないだけなんでしょ。

 

立ち居振る舞いに嘘があり、その嘘を大勢の目から隠そうとする人と思えばまず間違いなく、その立ち居振舞いにはまったく良心が感じられない。

 

とはいえ良心に欠ける立ち居振る舞いが目立つ人は、良心に代わるものを行動基準に置いているだけで、そんな人の良心に欠ける振舞いをなじったところで意味はない。

 

良心的に振る舞ったところで特にメシのタネにもならず、食べさせてもらったのは別のもののおかげだったら、彼らが良心以外のものに忠実になるのもしょうがない。

 

良心を裏切る振舞いの方がお得だった経験が刷り込まれた人に対しては、良心的に振る舞う方がよりお得で、最終的にはハッピーになれるという経験が上書きされない限り、そのまんま。