クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

これは私的な昔話です

緊急地震速報よりはマイルド。それでもけたたましく何度も鳴る、大雨による被害と避難を呼びかける警報は、バグってるのかそれともスパムなのかと思ううざったさだった。

 

朝は結構な降りだった雨も午後には上がり、青空も見えていた。山の天気だったら、変わりやすいのも納得なんだけどさ。

 

生活がない人には生活は描けず、生活から遠いものにばかり手を伸ばす。マイノリティーでラッキーと思える人は、承認欲求、表現欲と言い換えてもいいけれど、その手の欲求が何よりも勝る人だと勝手に思ってる。ついでに生活、食べるものやその他は、快適を求めると価格はうなぎのぼりで高くつく。

 

古書であっても入手可能なことは知っていても、買い直すのは億劫な、昔手放した本エンタメ系。専門書ならともかく、エンタメ系のものはより流行りすたりが激しくて、電子書籍にもなってないから、もったいない話。今よりはるかに市場が大きかった、つまり勢いがあった頃のものが手に入りにくくなったんだから、もったいない。

 

近頃無性に読み返したいのは、ディアナ・ディア・ディアス。えっと、という若い女性の一人称口語体で綴ったストーリーが人気だった新井素子による、らしくない三人称で書かれた神話世界的ファンタジー

 

ディアという、やっかいな血の宿命に翻弄される人たちを描いた作品で、ディアナ・ディア・ディアスは、両親ともディアの血を持つ生粋の人物の誕生を描き、誕生までのいきさつは詳細に描かれていたわりに、結末はあっけない。

 

そして天才児が誕生し、諸国を統一した初めての王になりましたで終わってたけれど、天才児の天才児たるゆえんや諸国統一までの道のりには触れてなかった。

 

史上誰も成し遂げたことがない偉業であっても、ディア、それも生粋のディアの血を持つものにとっては何てことないという設定で、とにかくディアの血はすごいんだぞーというオハナシ。

 

ディアの血の何がスゴイのさ???というエピソードとして、ディアの血を持つ男女は、初見であっても誰もが素晴らしいと聞き惚れる、素晴らしい合奏で聴衆をとりこにするシーンがあった。事前の打ち合わせなんて必要ない、初見であっても無問題。増幅し共鳴し合うことで、互いの魅力や能力を最大限にまで高め、誰よりも強い影響力を持つのがディアの血のなせる術。

 

そんな恐ろしいものは芸術方面に閉じ込めておくに限ると、彼らの能力は主に芸術方面で発揮されてきた。憎悪や対立を煽るなど、良からぬ方向に使われたらたまらんからな。

 

時に恐ろしいパワーを発揮するディアの血は、その代償として、その血の持主自身を激しく苛む寄生虫でもあって、寄生虫に苛まれているせいで、その宿主は著しく虚弱という設定だった。

 

虚弱になるとわかっていても、素晴らしい力が手に入るならと近親婚を繰り返したせいでその数を減らし、生粋のディアの血を持つものは最後の二人にまでなってしまう。その一人であるディアナ姫は、強大なディアの血を恐れる叔父だか伯父だかの策略で、辺境の成り上がり将軍のもとへと降嫁させられる。

 

武骨で不調法、芸術方面にはまるで暗くてディアの血についても無知な将軍との生活が、ディアナ姫の生涯でもっとも幸福な季節。ディアの血も忘れて幸福に暮らすディアナ姫を、ところがディアの血が許さない。ほっておかない。

 

滅びてなるものかと暴走したディアの血は、生粋のディアの血を持つもう一人を動かし、まんまと生き延びてしまう。ディアの暴走の果てに生まれたのが天才児カトゥサで、カトゥサが天才児なのは両親ともディアだから。

 

このカトゥサという人物が、神話世界らしくゆるやかな緊張関係にあった諸国を統一した初めての王になるんだけどさ。

 

その身の内に、決して滅びてなるものかという寄生虫、それも生粋のディアであるだけに、歴代の誰よりも厄介な寄生虫を宿してる。内憂外患と言うけれど、内憂が外患よりもはるかに大きかったら、内憂との戦いの方が大変。

 

低いレベルでの優劣を競って争いが起こるなら、そんな無駄な争いが起こらぬように、みんな一緒ですべて統一してレベルを上げて、争いが起こらぬようにしてしまえとでも考えたのか。

 

作業ではなく思考する人にとって、必要なのは静かな時間。

 

内憂、内なる寄生虫で悪魔との戦いに打ち勝とうと思ったら、些事にエネルギーなんて使ってられない。小競り合いをエネルギーに変える、内憂なき他者あるいは他国とカトゥサの置かれた状況は違う。あるいは小競り合いを繰り返すエネルギーさえもう残ってなかったら、みんな一緒で多様性に背を向けて、統一をめざすしかない。天才だけど、カトゥサ虚弱なのよね。。

 

多様性を失った集団は虚弱となって滅びに向かうものだから、みんな一緒で統一を志向したカトゥサは、同胞を道連れに身の内に抱えた特大の寄生虫ごと滅びの道を選んだのかな、とか。

 

遠い昔に読んだ本の、書かれなかったその後が気になってしょうがない。

 

たった一人となったカトゥサは、ディアとしては永遠にひとり。彼には、彼の母親であるディアナ姫のような、ディアの血を持つ伴侶はいない。

 

正室も側室もディアの血を持たず、おぼろげな記憶では正室として、他の作品に出てきた懐かしい名前、ラ・ミディン・ダミダの名前があったような気もするんだけどさ。

 

誰よりも濃いディアの血、巨大な寄生虫をその身に宿しながら、みんな一緒で同胞あるいは統治する民の数を増やして歴代のディアの誰よりも、ディアの血を薄めることに熱心だったカトゥサ。

 

カトゥサの中の、決して滅びてなるものかと蠢くディアの血とカトゥサの葛藤とか。実は生きていた、ディアの血を持つ誰かめざしてまたまた暴走するディアの動きとか。書かれなかった物語を勝手に想像するのは楽し。

 

滅びたはずのディアが滅んでなかったら。そこにはまた新たなエネルギーが誕生する可能性は、十分にあるんだよな。

 

という埒もないことを考えて過ごした、週末。変わりやすい天気はイヤね。ついでに、ことの始まりから技術の側に立ってた人ほど、調和を重んじるんでないのと思ってる。遅れて技術にめざめた人ほど、恐ろし気に騒ぎ立てるもので、”鬼”、わりと誰でも容易に想像できる怪物を、出現させやすいのかもね。

 

お休みなさーい。