クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

コインじゃらじゃら

断捨離のための整理を進めていると、もれなく発掘される外貨おもにコイン。換金もできないコインばっかりじゃらじゃらと貯まっていき、泉やその他名所にコインを投げ入れる人の気持ちがちょっとわかったような気がする。

 

国内では使えず、かといって捨てるのもアレ。だから処分に困って、じゃらじゃらと貯まっていく。高額紙幣の廃止は脱税防止にも繋がるとか言うけれど、わりといっぱい。と、期待して紙幣を数えて円換算してみたら、これっぽっち???と思うガッカリ感も半端ない。

 

換金できない外貨を貯めこむことは、損を積み重ねることと同意。

 

わりとお高いものあるいは質のいいものは、最初からメンテナンスのことを考えている。糸に端切れにボタン。メンテナンス用のパーツがおまけとして最初からついてくる服は修理してお使い下さいのサインで、メンテナンス用パーツが省略されている服は、メンテナンスしてまで使うとは考えてないサイン。

 

修理してまで使うか、買い替えるか。修理金額が本体価格を上回るようなら、修理したりしない。修理してまで使うものじゃなかったら、ポイポイ捨てられる。生鮮品、旬があるものは旬が過ぎたら袖を通すのもなんだかアレで、捨てるかリサイクル行き。旬、流行りすたりは製品寿命を短くするから大量に消費されないと採算も採れないけれど、大量に消費される前提が今どきだとそもそもアレ。

 

旬のサイクルが短くなり過ぎて、そこかしこで叩き売りの光景を見るようになると、お金かけるのもばからしくなる。

 

あらステキと思ったワンピース。よく似たものが、ネット通販の倍以上の価格でデパートに並んでいた。デパートにあったものは、知る人は知っている海外ブランド。質がいいから長持ちして、いつまでも着心地がいい。

 

閉じている状態なら、パクってもばれにくい。だけど、ネット通販は世界に開かれている。それとも実はパクリではなくて、同じデザインで質を落としつつ使いまわしでもしているものか。

 

真相は不明でも、あらステキと思う気持ちはどこかに吹き飛んだ。

 

今日は何して遊びましょうと、日々面白おかしく暮らす“生活のない人”にとって、清くもなく美しくもなく正しくもないものは、時としてサイコーの娯楽。清く正しく美しくが底流にあったから、ギリギリ不謹慎の謗りを免れていたもの。清くも正しくも美しくもないに変質したことがバレちゃったら、不謹慎まっしぐらでお先も真っ暗だね。