クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

大きくて増え過ぎたものは困るのよ

同等品引き取りサービス、新規で購入したものと同等のサイズ(主に大型)のものに限って配送時に不用品を引き取りますというサービスは、大きなものほど処分に困るという現実を映している。

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ミニトマトのような、すずらんの実。

ついでに配送後は空となった配送車をそのまま走らせるのはもったいなくてナンなので、配送と回収を兼ねられたらお得じゃん。という合理的思考かつそこはかとなく両手取引のかほり、もしかして異業種参入?の気配もそこには漂って、最終的に誰をお得にしてるのかと考え込むと、ワンクリックで買い物かごへの手も止まる。

 

買い手は、有料ゴミが無料になったらお得。配送を手配する側は、空気を運ぶ空トラックが働いてくれてお得。では肝心の配送を請け負う側は、配送と回収と二重に手間賃がもらえてお得なのかどうかが気になるポイント。

 

自らの快を増やすために、他者の不快には頓着しないという快と不快のコンフリクトは、人が増えて快と不快の判断基準が多様になるほど増える。コンフリクトを起こさないための最適解は増やさないことで、増やしたい人と増やしたくない人とのコンフリクトがまた新たに生まれて、机上の理論を実生活に根付かせる壁はひとすじ縄ではいかないから専門家が居る。

 

リサイクルあるいはアップサイクルの仕組みは、関係者全員にとってお得と認知されてはじめて根付く。白か黒かの二者択一は、日本人的との外国人目線からの指摘。白か黒かでグレーを許さないのはむしろ外国的だと思っていたので一瞬違和感を覚えたけれど、そもそも人権や個性が確立した先進国では、二分法で考えたりしないんだとの指摘だと思えば納得感もある。

 

ある人にとっては不要なものも、他の誰かにとっては有用なもの。

 

リサイクルあるいはアップサイクルの仕組みが根付いて回っていれば、有用か無用かの二者択一で分けることもなし。なんだけどさ。どこも数が増え過ぎると秩序が乱れ、みんながお得だったはずのシステムもお得じゃなくなって、試行錯誤が始まって迷走してやっぱり最初がいちばんと原初のシステムに戻ったりしていると、やれやれ。

 

抽象概念による都市像の構築は、自然由来を取り込んできた都市構築が目立つ日本と違って、西欧あるいは中国的なんだってさ。

 

抽象概念による都市像の構築を平易に言い換えると、病人や怪我人を大勢抱えていることが成長のエンジンとなっている都市では、不健康な人が多いほどアドバンテージありで、運動好きで健康な人を増やそうとする動機を強く持たないってこと。

 

もっといえば、病人や怪我人が多いままの方が都市にとってお得だったら、スポーツジムやスポーツクラブの類は繁盛しないってことで、運動が生活の一部になってる人にとっては不快が勝るってこと。不快が勝るから快を増やそうと、見ることよりやることに意義があるイベントを増やそうとする行為は、だから不快を減らすための行動でもあるってこと。

 

すでに撤退が決まっているイベントもあれば、今後開催が見込まれるイベントもあり。年々参加者を増やしているイベントもあり。

 

何がその地にとってのお得なのか。その土地で日々生活してる人ならそのサインが、怪我にも病気にもならず、健康な人が健康なままでいられることだって、気が付いている。増え過ぎたものは減らしたいし、足りないものは増やしたいやね。