信頼できるガイドブックは、紹介する必要のないものはちゃんとスルーしてる。写真は撮りようでどうとでも誤魔化しがきくから、“いちばんいい顔“に騙されがち。ところが現地に行くと、別の顔も見せられてガッカリということもあるわけで。
観光資源の限られた土地ではあれもこれもと紹介したくなるのが人情で、人情を汲んでかお役所が作ったものは、満遍なく現地にあるものを紹介してる。にもかかわらず、お役所作成リストから零れ落ちているのは、現地資本とは関係がないからか???と、邪推するのも旅の醍醐味かも。
グローバルとローカルの対立や共存。観光地ほど、あからさまになりがちかも。かもかも。
地図に記載のある観光名所。看板もあって車の轍もあるけれど、道を進むほどに“手つかずの自然”が迫ってきて、そんな場所ではヒグマに遭遇するより人と遭遇する方が、より不自然で恐ろしい。
あ、これ怖い奴やと思ったら、とっとと引き返すに限る。
広い外洋に出るつもりで作った船。船頭多くして船山に上るで、気が付いたらなぜか、落ちたら奈落の底まで真っ逆さまの山をえっちらおっちら上ってたら、どう考えてもおかしい。
オーストラリアには、大量の地下水が埋蔵する場所もあるらしいけれど、塩分濃度が高くて農業その他の産業用には適さないんだとか。
せっかく水が大量にあっても、利活用できないんじゃしょうがない。
2年ほどまともに雨も降らず、乾き切った大地の下にはたっぷりの使えない地下水、塩水系という状況は、理不尽を絵に描いたよう。オーストラリアつったって広いから、地下水たっぷりの土地と、乾き切った大地とがすぐ近くとは限らないんだけどさ。
自然ほど、凸凹をフラットにすることがなし難いものもなし。
今年はたっぷり痛感することになった、自然災害の恐ろしさ。地震に対する備え、特に都市型災害に対しては耐震化や免震化その他でそれなりに準備は万端だけど、都市以外は脆そう。
日本の海難事故史上最悪の悲劇となった、洞爺丸事故級の台風にどこかの地方が見舞われたらひとたまりもなさそうで、ひとたまりもなかったことがすでに忘れ去られていると、防災も進みそうになさげ。
港は防災除けでもあるけれど、港のキャパを越えた船が停泊してたら、防災には不安が残る。千客万来はいいことばかりでもなく、キャパオーバーは不安定要素だから、もっと広い場所に移ってもらうにしても、増えるスピードが速すぎると、どうにもならない。
局所では減ることを心配しているけれど、世界的には人口爆発中で、一旦増え始めたら収拾がつかなくなる。その怖さを知ってる人だけが、蛇口を締めるように思い切って閉じることができる。
閉じるということは、コントロールしようという意思の表れで、閉じることもできなければなすがまま。
暑すぎず寒すぎずというには、風が冷たすぎる。北海道マラソンで夏のイベントはすべて終わり、短い秋に向けてまっしぐら。食欲の秋までまっしぐら。
お休みなさーい。