クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

無駄と実用

ビーツをオーブンで1時間焼くと、硬い皮も手で剥けるようになるんだってさ。

f:id:waltham70:20180707235430j:plain

葉っぱ以外は食べられるお菓子。

という、一体どこで役に立てればいいのかわからない無駄知識。電気代が安く、夏場でも冷涼な場所でしか実践できないわざでもあるから、夏には亜熱帯化しつつある日本では縁がない。とはいえ1時間かけて下ごしらえする、優雅と言っていいライフスタイルには憧れる。

 

時短時短で、空いた時間に何を詰め込むのか。優雅なライフスタイルか否かを分かつのは、結局時間の使い方よな。

 

大雨の被害を免れたのは関東だけかと思っていたら、千葉には強めの地震がきた災害列島ニッポン。これ以上の被害拡大はかんべんな。

 

大学進学が一般的でなかった近代以前の西洋世界では、聖職者への道がもっとも手っ取り早い高等教育機関だったとか。神学校が高等教育機関でもあった宗教は、だからロジックが堅固で理屈から入るようになっているんだとか。

 

それに対して例えばアニミズムのような原始的かつ素朴な宗教観は、ロジックを持たないあるいは重視しないから神意に弱い。らしい。という聞きかじり。

 

神意ともとれる大自然の驚異を目の当たりにすると、コロッと騙される。というのは、ありえそうなこと。対個人だとマジシャンかな?で見破れることも、大自然が相手のイリュージョンとなると、そうはいかない。シャーマニズムの入り込む余地はそこにあり、現代のシャーマン希望者は、あるいは最新のデータを上手に活用したサイエンティストかもね。かもかも。

 

特殊な能力は個人にしか宿らないけれど、実は魔法に偽装した科学であれば、誰にでもできるはずなんだってさ。一見不思議に見えること。何度も繰り返されるのなら、そこには種明かしがあると思っていると、不思議なことなどなにもないでやり過ごせる。

 

一個人に見える範囲は狭いけれど、高みから事象を観察してる人たちにとっては、あいつらまたやってやがると舌打ちしそうなこと。案外ゴロゴロしてたりして。

 

滝、山、あるいは巨石に巨樹。

 

大自然の驚異系には弱い方だけど、どっちかっていうとそれは、長い年月をかけてできあがった自然の造形の前に、人は無力ねと頭垂れて謙虚な気持ちになるから。神意を感じて、神は偉大なりと何かに目覚める方には走んないわな、フツー。

 

即席で作られたものではなく、長い歴史をもつ“ちゃんとした”宗教には、それなりにちゃんとしたロジックがあるはずなんだから、間違えんなよ。という宗教そのものよりも、スルーの仕方も含めた宗教との向き合い方。考えたら誰に教わるものでもないから、特別熱心な人にうっかり遭遇した時にはどう身を守るのか。

 

今どきは、金融教育や伝統芸能のように、学校で教えてるんですかね。社会に出てから困らない、有用かつ実用的な知恵っぽいんだけどさ。教科書作るのは、面倒くさそうね。

 

お休みなさーい。