相撲協会がいつの間にか、公益財団法人になっていたことを知った。それが今回の騒動のいちばんの収穫っちゃ収穫。公益性のある財団がやることに、暴行事件は含まれません。というのも、当たり前の話やね。
ホワイトイルミネーションは、大通公園だけで行われているわけでなく、赤れんが庁舎や赤レンガテラス前の広場でも行われている。どこもかしこもピカピカで、きれいやね。
色が切り替わる、赤レンガテラス前の広場。
白・青・赤andピンクが、今回のイルミネーションのテーマカラーっぽい。
白は札幌の夜景を、青は神戸の夜景を、赤は長崎の夜景のそれぞれのテーマカラーなんだってさ。国内における夜景の名所は、この三か所。と、言いたげだね。函館の夜景はどこに行った??? 神戸も長崎も海で山で、函館と似たような地形なんだけどさ。
『天才スピヴェット』という小さな男の子が主人公の映画を見た。
小さいと言っても10歳にはなってるはずなんだけど、一般的な10歳児よりもずいぶん小さく見える天才児が主人公。
彼の発明がとある名誉ある賞に選ばれ、授賞式でスピーチするために故郷モンタナの牧場を出て、ワシントンDCにあるスミソニアン協会をめざすという、ロードムービーもの。
カウボーイの息子が、科学の殿堂であるスミソニアンをめざし、スミソニアンには博士号持ちの紳士淑女しかいないという設定が、いかにもアメリカっぽくてニヤリとできる。
スミソニアンといえば、入場料無料の科学館・博物館が集積する場所で、アメリカは偉大なりを実感できる。自分に子供が居たら、絶対に小さなうちに連れていきたいと思う場所。
高等教育を受けた者によって築かれた、知の発展が国の発展につながったことを実感できて、お勉強にも前向きになれそう。だからこそ、小さいうちに連れて行って洗脳したい。
それはともかく。
主人公の少年の故郷であるど田舎では、彼は頭がいいことを鼻にかけた変人だけど、彼の才能を認める人たちのもとに行けば、天才児と持て囃される。
彼にとって、より幸せに生きられる場所はどちらなのかを探す旅でもあったけれど、彼の天才を育んだのは、まぎれもなく他に娯楽らしい娯楽もないど田舎という環境のおかげでもあるのが、この映画の大事なとこでもあって。
いかにもカウボーイらしい父親と、昆虫の研究に熱心な母親と。家族も変わり者ぞろい。年齢相応におしゃれやスターに関心のある姉が、いっちゃんまともかも。
実は彼には双子の弟が居て、弟は父親によく似たプチカウボーイ少年で、実験が好きな彼とはまったく違う個性持ち。
まったく違う個性持ちだからこそ、趣味が合わなくても心の支えだったのか。のーびのびと彼の才能を育んだ環境は、弟の死により見えないところで変化する。
変化に耐えられなかった、もっとも衝撃を受けていたのは実は主人公の少年であって、だからこそ彼はさらなる環境の変化、弟の死でさえ帳消しにする新しい環境を求めたのかも。という、お話だった。
彼がほんのちょっと覗き込んだ新しい世界はとっても無遠慮で、インスピレーションや新しいアイデアを得るにはとっても向いてなさそうな環境だった。
自分の好き、あるいは得意を伸ばせる環境かどうか、感情の起伏も乏しく観察する少年は、年齢より大人びていて、それでも見た目はとっても小さな少年で、つかみどころがない。
幼くして個を確立してしまった少年は、他人から見るとつかみどころがなくて、取り扱いが難しい面もあるけれど、相応に子供らしくてかわいくもあった。
突出した才能を存分に育めるのは、その「才」を愛する人のもとではなくて、その子そのものを愛する人のもとなのかも。才能が集まる場所では、才は次々と供給されてくるものだから。天才と呼ばれるタイプの人、だいたい年齢不相応な振舞いするんだよな。。
とはいえ、世の中には取り扱いが難しい子も居るよねという、ごっつい単純な見方がいっちゃん正しいような気もする。
ま、戦争に負けた国の困窮民の面倒をいったいどこが見るのさ?と考えたら、戦勝国の責任だからあとはよろしく!と言われ、大量の難民よこされても困惑するだけ。
国内あるいは同一民族内で解決すればいい問題を、わざわざ国際問題にすることもないわな。
お休みなさーい。