クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ハードトレーニング

笑っちゃいけない、笑ってられないはずなのについ笑っちゃう。

 

怒られるに決まってる。何なら金返せとか。あるいは責任はどう取るんですか!?と角立てた人達から詰め寄られてもしょうがない場面なのに、笑いを取りに行けてきっちり笑ってもらえるのは愛嬌の賜物で、愛想は売り物になる。

 

愛嬌で一瞬にしてなごんだ場が、最後までなごやかだったのかどうかまでは見てないんだけど。

 

ショーマストゴーオンとか、イッツアショータイムとか言うけどさ。より大勢の注目と関心が集まる、ビッグイベントの場こそがショー。そう考えた時、ショーは何も舞台やコンサートで行われるものだけとは限らない。

 

誰かを不愉快にするよりも、愉快にする方が断然難しい。

 

難しいからお金になるんだという、いい見本でお手本を見た。実際はどのくらい割のいいお仕事だったのかわからないけど、決算という注目度の高いビッグイベントは、一度きりじゃないから今後も続く。何しろ公開企業である限り、義務だから。

 

初回だけはサービス価格でサービス満点にサービスして、次からはきっちり適正価格でしか引き受けないようにするとお安くならず、お披露目で大盤振る舞いした分まできっちり回収できる。

 

資金回収まで織り込んだ完成されたビジネスモデルがひとつ出来上がっていると、ショーを披露する場がどこであっても再現可能。再現できないようにジャンルごとに高い壁を設けて、越境を拒むようにできているもんだけど、その高い壁さえ超えてくるんだからおっかない。

 

これ以上ないほどおっかない存在なのに、表面はニコニコ愛想よしだからおっかないにも程がある。

 

愛想がよくて愛嬌があった方がお金に好かれると知ってるしわかってると、笑えない場でもちゃんと笑いを取りに行く。しかもその様子を、一部のステークホルダーに限らずその他大勢の大衆にまで届くよう、ガラス張り。

 

大きな名前を背負うのは、そういうこと。日本のみならず海外にまでその名を知られてる。そんなビッグネームを背負ったら、笑えない場でも笑わなきゃいけないし、隠し事が許されない場ではガラス張り。

 

ガラス張りの場でのきっつーいツッコミにも耐えようと思ったら、事前トレーニングは欠かせない。トレーニングは、ガラス張りの場にも耐えるためのトレーニングだと双方が了解してないと意味がなく、了解してない者にきっつーいツッコミだけ浴びせるのは、単なるしごきでいじめでハラスメントで人権侵害さ。

 

ペラペラの紙一枚の契約書。改竄が可能で容易だからと改竄して、ハラスメントする側に都合のいい内容に後から変えても、改竄が見破られたら意味がない。

 

責任感に度胸に精神力。その他諸々のものからビッグネームはできていて、お披露目の場という舞台が大きくなればなるほど、訓練された人じゃないと務まらないようにできている。

 

真似だけ上手になっても無理で、真似だけ上手な人が舞台に上がれないよう、舞台のハードルは上がっていくばかり。当たり前の訓練では足りない厳しい内容だから、一人をしごき倒すよりもチームという集団ごと訓練するようにしてるのかもね。かもかも。

 

どれだけ訓練しても愛嬌や、笑ってられない場面でもニッコリ笑顔のままでいられるかどうかは、きっと天性のもの。訓練で後天的に身に着くものではないから、天分のある人を探した方が早い。

 

誰かを不愉快にするのは簡単で、愉快にするのは難しい。だから、最初から不愉快が蔓延する場所では探さないさ。

らしさがなくなったら、どこも一緒

ひとパックくらいでよかった、紅玉。安かったのもあって、後先考えずにひと箱お買い上げ。どれも掌サイズで小ぶりだから、一人で食べ切るにも調理するにもちょうどいいサイズ。

 

数が増えるとそれまでの序列が崩れるから、ひと昔前ならクッキングアップル、特に製菓用として不動の地位を保っていた紅玉も、最近は影うすげ。店頭で派手に宣伝してもらえるのは、やっぱりニューカマー。

 

そのまま食べる赤いりんご以外にも、馴染みのない横文字系かつ青りんご系のクッキングアップルが、ずいぶん増えた。

 

とはいえ紅玉は、調理した時の発色の美しさでやっぱり抜きん出てる。いつものりんごのコンポートのレシピに、剥いた皮をそのまま入れただけできれいに色づいてウッキウキ。りんごのコンポートがきれいに色づいただけで浮き浮きするとか、われながらなんて低燃費。

 

子供の扱いが上手な人は、何といっても察しがいい。察しがいいから、まだ未熟で要求を上手く伝えられない、あるいは何を求めているのかさえわからないお子様の要望にも、先回りできる。

 

子供の扱いが特別に上手いからと言って、いつも子供の世話をさせられている人が、その状況に満足しているかどうかはまた別の話。察しがいいという特質は、サービス社会では重宝がられる美点で応用範囲も広いから。

 

遠くに行くならみんなと一緒にといった時には、みんなと一緒でないと遠くへ行けないし行かない人も、おのずと想定している。一人でフラフラどこへでも行き、トライ&エラーで何とかするし何とかなってきた。そういう人は、ほっといたって勝手に遠くへ行くものだから、みんなを待つまでもない。

 

みんなと一緒でないと遠くへ行けないし行かないから、そういう人は例えば海外のような遠くを旅する時には、きっとツアーで行くに違いない。だから逆に、ツアー客を受け入れてないような場所だと足を踏み入れづらくなる。ツアーで何度も旅するうちに、ツアー客だと足元見られてることがわかるようになってきてもさ。

 

生活の場と観光地の距離が近くなり過ぎると、ぼったくるという発想が生まれがちで、コスパのいい消費に慣れた層からは、そっぽ向かれがち。それならと生活の場と観光地の距離を離したら、本当に地域のためになるのかというとそれも未知数。産業が空洞化したから、観光地をめざした。そういう場所にとっては死活問題になるから。

 

故郷を離れ、都会に出て働くようになった娘や息子を訪ねて遠方からわざわざやって来た親をもてなしたいと思うのは、普遍的な感情でユニバーサル。普遍的でユニバーサルな感情を扱うのが上手な場所に、普遍的でユニバーサルなサービスを求める人が勝手に吸い寄せられていく。

 

その一方で、外国とはいえ親は親で何度も遊びに来てるから、特別なおもてなしなんて特に必要もなくて、ただ気楽に一緒に過ごせればいいだけというありようもまた普遍的。

 

気楽に過ごせる場所と、丁重なおもてなしが可能ないかにも「らしい」場所と。そのどちらも選べて揃っているのが、都市で都会。競合に事欠かないから。次々に競合が現れるのが都市で都会で、競合が現れなくなった時点で成長が止まって、都市でも都会でもなくなっていく。

 

察しがよくてよく気が付く人ほど、競合の多い場所では重宝がられ、察しのいい人にとって住みやすい場所になっていく。

 

「らしさ」を失ったらどこに行っても一緒で、どこに行っても一緒なら問題はコストだけになりがちで、コストだけになったらただ愚直にコスパを追求してきた相手にかないっこない。

冷たい雨

現在気温を見ると、目を疑う。5℃にも届かない。。一瞬みぞれかと思う、冷たい雨が降ってるせいもあるけどさ。

 

いつ雪が降ってもおかしくない寒さ。雪虫は大群で飛び回り、車のフロントガラスに集団で飛び込んできたりするけれど、いまだ木には紅葉した葉っぱがワッサワサ。天気に恵まれさえしたら、まだまだ紅葉が楽しめるはずなのに、残念で冷たい雨。

 

いつでもどこでも、かつての百科事典並みに物知りな検索サーチのおかげで、暗記する必要はすっかりなくなった。簡単なフレーズをポイっと検索窓に放り込みさえすれば、物知りな検索窓の向こうの人が教えてくれる。

 

でも教えたがりの人、それも無料で教えたがりの人が教えてくれることだから、時として大事なことは抜け落ちていたりする。その教えを聞くために、行列ができる。誰からも教えを請われるような大家が、検索窓の向こうにいるのかといえば、そんなことはない。

 

持ってる情報や知識でお金が稼げる、誰からも教えを請われるような大家は、検索窓の向こうでちんまり誰かや何かのお伺いを待ってたりしない。

 

無料で教えたがりで、教えても損がないのはゴシップの類。ゴシップを振りまかれた方は迷惑するばっかりで、迷惑するだけなのを承知してるから、無料で教えたがりの人がゴシップを振りまくようにできている。

 

暗記する必要はすっかりなくなったけど、寿限無寿限無みたいな念仏っぽいものや本当の念仏、あるいはもっと長々と暗誦するような何かを持ってる人は、集中しやすいというメリットがある。

 

例えば歴代アメリカ大統領の名前や歴代天皇の名前、あるいは歴代の年号に、各国の王朝の移り変わり。元素記号表や素数一覧でもいいんだけどさ。何なら各種デザートの名称一覧でも。

 

その種の知識は、覚えていても実生活では実用として役に立つ局面は皆無に等しい。だけど、何かを長々と暗唱できるという特技は精神修養にも通じて、集中力を高めるのにはお役立ち。だから逆説的に、集中力をかき乱されがちな環境にある場合は、長々と暗誦できる何かをストックしておくといいのかも。

 

集中力が削がれるような局面になったら、その種のストックしておいた念仏状の何かを諳んじてみる。声に出すとただの変な人になるから、脳内で唱えるようにすると、そのうち集中力も戻ってくる。野中の一軒家や洞穴のような場所でもないと、脳内を無にする方が大変で、無にするくらいだったらいっそ脳ミソを何かのストックで一杯にする方が、楽かも。

 

ノイズキャンセリング機能を持った物で耳を塞げば、雑音はカットされる。雑音がカットされると集中力はそれだけ増すけれど、視界から入ってくる視覚情報も雑念のもとで、それも邪魔。かといって目まで塞いだら、そもそもなーんにもできない。

 

情報があり過ぎて集中力が続かない環境では、周囲の環境に左右されずに自身の集中力を高めるオリジナルな方法があると、それだけで心穏やか。心穏やかだと、だいたい集中力は高まるようにできてんだけどさ。

先月食べたもののふりかえり

出所や入手方法が怪しくて、売買の対象にはならないし売買はできなくても、担保にはなるかもしれない。怪しい出所も入手方法も気にしない間柄であれば。

 

金銭価値が出るまで。あるいは金銭価値が高騰するまで寝かされるような出所や入手方法が怪しいものは、担保になって人から人の手に渡り、不渡りになった時に初めて“表沙汰“になるのかも。かもかも。


f:id:waltham70:20191105153501j:image

f:id:waltham70:20191105153508j:image

f:id:waltham70:20191105153504j:image

f:id:waltham70:20191105153629j:image

f:id:waltham70:20191105153633j:image

f:id:waltham70:20191105153637j:image

f:id:waltham70:20191105153707j:image

f:id:waltham70:20191105153710j:image

f:id:waltham70:20191105153713j:image

f:id:waltham70:20191105153744j:image

f:id:waltham70:20191105153752j:image

f:id:waltham70:20191105153748j:image

f:id:waltham70:20191105153821j:image

f:id:waltham70:20191105153825j:image

f:id:waltham70:20191105153816j:image

f:id:waltham70:20191105153911j:image

f:id:waltham70:20191105153903j:image

f:id:waltham70:20191105153906j:image

f:id:waltham70:20191105154000j:image

f:id:waltham70:20191105153957j:image

f:id:waltham70:20191105153953j:image

f:id:waltham70:20191105154042j:image

f:id:waltham70:20191105154038j:image

f:id:waltham70:20191105154046j:image

f:id:waltham70:20191105154101j:image

f:id:waltham70:20191105154105j:image

f:id:waltham70:20191105154109j:image
  • 舞茸と鮭の炊き込みご飯イクラトッピング、里芋の煮もの、こんにゃくの煮付け、味噌汁 
  • 牛肉と揚げ野菜の山椒あんかけ、シラスおろし、里芋の煮もの 
  • 鶏団子と白菜と春雨の煮物、ゴマ豆腐、こんにゃくの煮付け 
  • スモークサーモンとアボカドのカマンベールチーズパスタ、スープ、グレープフルーツ 
  • 味噌コーンラーメン 
  • 鶏のジューシートマト竜田揚げ、ゴーヤーとツナのサラダ 
  • サクサクれんこんつくね、にんじんとセロリのきんぴら、ゴーヤーとツナのサラダ 
  • 長芋と豚肉の炒め物、にんじんとセロリのきんぴら、五目豆、味噌汁 
  • 豆腐ステーキ野菜あんかけ、ほうれん草としめじのおろしあえ、味噌汁 
  • 海老のアヒージョ、ツナとごぼうのホットサラダ、れんこんチップス、チーズフォンデュ鮭とば、ドライいちじくとチーズ、クラッカー 
  • サバとしめじのペペロンチーニ風パスタ、ココットカマン 
  • 揚げジャガイモと豚肉のそぼろ煮、五目豆、いんげんのごま和え、味噌汁 
  • 牛肉としめじのビーフストロガノフ風、いちじくとホウレン草のサラダ 
  • たらちり蒸し、炊き込みご飯、味噌汁 
  • イカ墨のリゾット、ブロッコリーと卵のサラダ 
  • スパゲッティミートソース、梨 
  • ラザニア、サラダ 
  • 鶏の蒸し焼きしょうが風味、焼き野菜、茶わん蒸し、むかごご飯、白菜と赤カブの漬物 
  • 白菜と鶏肉の煮物、白菜と赤カブの漬物 
  • 回鍋肉風ナスと豚肉炒め、かぼちゃとひき肉の蒸し物、サラダ 
  • 大根のそぼろ煮、切り干し大根の煮付け、クレソンのポテトサラダ 
  • 厚揚げと春雨のひき肉炒め、茶わん蒸し、切り干し大根の煮付け 
  • 中国風白菜丼、フキのホットサラダ、柿 
  • ポークソテー、グリーンリーフ、カボチャサラダ、切り干し大根の煮付け、柿 
  • えのき入りつくね、大根めし、黒豆、レタスとわかめのお浸し 
  • 鮭とじゃがいものチーズマヨネーズソースオクラ添え、赤かぶとカリフラワーのピクルス

f:id:waltham70:20191105154204j:image

f:id:waltham70:20191105154159j:image

f:id:waltham70:20191105154155j:image

f:id:waltham70:20191105154151j:image

f:id:waltham70:20191105154233j:image

f:id:waltham70:20191105154223j:image

f:id:waltham70:20191105154230j:image

f:id:waltham70:20191105154218j:image

f:id:waltham70:20191105154244j:image

f:id:waltham70:20191105154240j:image

f:id:waltham70:20191105154248j:image

f:id:waltham70:20191105154251j:image

f:id:waltham70:20191105154315j:image

f:id:waltham70:20191105154309j:image

f:id:waltham70:20191105154306j:image

f:id:waltham70:20191105154319j:image

f:id:waltham70:20191105154350j:image

f:id:waltham70:20191105154346j:image

f:id:waltham70:20191105154353j:image

f:id:waltham70:20191105154342j:image

f:id:waltham70:20191105154420j:image

f:id:waltham70:20191105154424j:image

f:id:waltham70:20191105154417j:image

f:id:waltham70:20191105154428j:image

f:id:waltham70:20191105154439j:image

f:id:waltham70:20191105154454j:image

f:id:waltham70:20191105154435j:image

f:id:waltham70:20191105154448j:image

f:id:waltham70:20191105154537j:image

f:id:waltham70:20191105154527j:image

f:id:waltham70:20191105154520j:image

f:id:waltham70:20191105154531j:image

f:id:waltham70:20191105154606j:image

f:id:waltham70:20191105154555j:image

f:id:waltham70:20191105154610j:image

f:id:waltham70:20191105154600j:image

f:id:waltham70:20191105154649j:image

f:id:waltham70:20191105154645j:image

本当は丸ごとの鶏一羽で作りたかった、鶏の蒸し焼きしょうが風味は、シンプルな見た目ながら先月食べたものの中ではいちばんのごちそう。面倒で手間がかかってるから。

 

道徳や価値観が変わり、変わったあとに量産される新しいものに興味が持てなくても、古いもののストックがふんだんかつ十分にあると、あんまり困らないようにできている。

 

在庫やストックが尽きてしまうと結局古いものに頼るしかなく、だから定期的にそれ以前にも見たし知ってるという流行が繰り返される。すぐに本家や元祖が見破られないようにジャンルを移動しつつ、移動した先のジャンルで換骨奪胎を繰り返せば、もうなーんにも新しいアイデアなんて浮かばなくても何とかなりそう。

 

ロールケーキがブームとなった時は、全国津々浦々で美味しいロールケーキが次々に生まれたりもともとあったものが見直されたりして、ブームの裾野の広さも実感できた。

 

ロールケーキ自体は、作ろうと思えば自分でも作れなくもないけど、素材がシンプルなものはどう考えてもお店で買ったものの方が美味しい。カスタードクリームならともかく生クリーム系は、一般的な流通ルートで手に入るものは平均的で、だからものすごーく美味しくなるということはない。

 

そういう意味で、ロールケーキブームにはお店の人の腕の見せどころが織り込み済みで、巧拙や違いもはっきりしていたから、食べ比べする楽しさもあった。そんなに食べ比べしてないけどさ。

 

観光地で食べた、小さなお店のロールケーキがその当時食べたロールケーキの中ではいちばん美味しかった。卵や牛乳といった素材の産地も近かったから、素材が違うと明らかに味が変わるものなんだとしみじみした。

 

自分で作ろうとしてもそう簡単には作れず、作ったとしても従来からあるレシピの方がはるかに美味しいとすでにわかってる。食べ比べしようにもどこも平均的で、突出して美味しいと感じることもない。

 

という素材をブームにしようとしても、裾野は広がりにくいわな。

 

ハロウィン便乗商品も多様化して、ちょっと変わってる。あるいはちょっとカワイイだけだともう食指も動かない。とはいうものの。ミイラ風にデコったエクレアは、もとがエクレアだけに味も想像しやすく、エクレアとモンブラン風クリームとのコラボ、ハロウィンバージョンと思えば記念消費としてつい買ってしまう。


f:id:waltham70:20191105154705j:image

f:id:waltham70:20191105154702j:image

f:id:waltham70:20191105154709j:image

生き残る、あるいは息長ーく続くのも、いつだって商魂たくましいものの方さ。

 

お化けの活躍する季節が夏から秋まで拡大したのも、思えばハロウィンのおかげやね。

水先案内人

ものすごくインパクトのある、それまでの常識がひっくり返るようなラディカルな主張が形式を整えて、どこからも文句の出ない形で主張されるようになると、ホラーの始まり。

 

怖いのは、形式主義という高い高いハードルをすでに超え、形式で守られた内部にまで侵入しているから。形式で守られた内部への侵入をすでに果たしていたら、形式だけ、形だけ精査できても意味はない。

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

よしやうらぶれて異土のかたゐとなるとても

帰るところにあるまじや

 

とつぶやきながら、最後は遠きみやこにかへらばやというフレーズで締めくくられていると、つぶやいている本人はふるさとに居るのかそれともみやこに居るのか。一見するとすごくわかりにくい。

 

ふるさとへの郷愁をうたっているのか。それとも遠いみやこに帰りたいんだから、その真逆なのか。そこもわかりにくくて複雑。

 

この種の複雑な心境は、現代だったらよりよい生活を求めて故郷を出た、出ざるを得なかった越境者に聞くと、かつてなら思いもつかなった視点を与えてくれるかも。

 

人口減少が大問題となった現代では、すっかり忘れ去られてるけどさ。食わせるに困ったあげく、それ、どう考えても体のいい棄民じゃんという事業は、この国にだって過去に何度もあったのさ。困ったら、捨ててきた。そう理解してる。

 

懐かしいと感じる人が居て、懐かしいと感じる風景や何かがあるから恋しく思うのがふるさと。

 

例えば今だったら紅葉がきれいだろうなとか、紅葉がきれいな季節には美味しくなるあれやこれ。季節や味覚。一緒に楽しんだ人が居ればなおさら、その人たち込みで今はもうない、あるいは今は戻れない景色や何かを思って悲しくなるもの。

 

懐かしくなるような思い出は何一つ持たず、単に生を受けただけの場所にすってんてんの状態で戻ってきた時に人は何を思うのか。すってんてんで戻ってきた人を常に、温かく受け入れてくれる場所だったら、いつまでたっても懐かしくもなるもんだけどさ。

 

懐かしいと感じる人も風景も、何もかも失われた場所は、もうふるさとでも何でもない、単に生を受けただけの場所。ついでに生を受けただけの場所なんだけど、地理や来歴には明るいから、土地に不案内な人向けの事業では水先案内人にもなれる。

 

懐かしさに繋がる美しい思い出もよき思い出も。なーんにも持たない人が異土から来た人の水先案内人となって新しく作り始めた何かは、過去の地理や来歴からは完全に切り離されたものになるかもしれない。だっていい思い出も思い入れもなーんもないんだから、破壊や改造にも躊躇がない。

 

その種の破壊や改造の果てに生まれるのが、土地の人が見たこともなければ行ったこともない、新しい名物や名所。

 

遠く離れていても、いつまでたっても懐かしい原風景を持たない人に、単に生を受けただけの場所の改造を任せると往々にして破壊先行。

 

だから、離れたあともいつまでも懐かしくて恋しい何かを持たない人は常にフロンティアに置いておく方がよくて、送り込まれたフロンティアで懐かしくなるような何かを獲得した人から、フロンティア開拓団からは脱落していく。そう設計すると、異土のかたゐも生まれなくなる。

 

響きはロマンチックなんだけどさ。

 

よーく聞いたら、ロマンの欠片もないこと言ってるしやってるじゃん。ということを行う際には、ロマンの衣を纏わせると騙されやすい人ホイホイになるから、対抗する方もロマンの衣を纏うようになって、互いに感情に訴える、感情掻き乱し系に偏りがち。

 

理性的に考えられる状況を奪い、理性を奪った後で感情に訴えて感情を揺さぶるとより効果的。

 

にもかかわらずちっとも効果がなかったら、武器として使った理性も感情も役立たずだったという何よりの証拠で、お払い箱にしても誰からもどこからも文句は出ないさ。

明るい方へ

女の子は、ひと足先に大人になる。永遠の小学生男児を置き去りにして。

 

だから、上手に大人になれないなれなくてもいい、永遠の小学生男児のような男性の集団に女性を混ぜると、上手にあるいは急速に集団そのものが大人になっていくのかも。上手に大人になれたら、まだいいんだけどという副作用付きで。

 

急速に大人になった場合は、なにしろ急で拙速だったもんだから、見かけは大人でも中身は子どものまま。大人のふりだけ上手になって、最終的には本当の大人に泣きついて面倒みてもらってたりして。

 

例えば、中抜きを効率と言い換えていいとこどりしていても、中抜きしかできなかったら、やがてはどん詰まる。中抜きされないようシステムが変わったらお手上げで、お手上げになった時に手を動かせる人がいなかったら、どうしようもない。

 

どん詰まりが見えてる時にも、どん詰まりという未来を予感してひと足先に大人になるのもいつだって女性の方が早く、だから女性をひと足先に未来へ送るようにしておくと、どん詰まって行き止まりになることもないのかも。

 

飢えることもみっともないのもイヤ。ついでに、可愛いあるいはいたいけな何かがウルウルと涙いっぱいになっていると、良心が痛むような母性の持ち合わせがあれば、なおさら何とかなった。その種の経験則があれば、ひと足先に女性を未来へと送ることにも前のめり。

 

一見すると、レディーファースト。でも実際は、どん詰まりのその先を切り開くという難題にチャレンジ、場合によっては無理やりチャレンジさせているわけだから、ご褒美というよりは罰っぽい。

 

北海道開拓は、最初は政治犯、次に屯田兵がやって来て最後に市民だった。という歴史を持つくらいだから、未開の大地をそれも無理やり切り開くには何らかの強制力が必要で、強制的に難題にチャレンジさせようと思ったら、やっぱり罰になる。

 

その一方で。上手に扱えない、うまく取り回しができない相手の手には取り回しの難しいものは渡さないから、お先にどうぞと未来を託された人の前には未来もやって来る。

 

突き抜けた楽天性でもないと、そもそもやってない。その種の行為は、楽観という意思を故意に挫かれたら、突き抜けた楽天性とともに失われて崩れてしまう。

 

それまでお呼びじゃなかったのに女性を呼びに来た時は、どん詰まりの一歩手前のサイン。

 

がっつり稼げる分野は、僕・私たちにまかしとけ。

 

今はがっつり稼いでるけど、そのうちどん詰まるのはわかってるから、先に未来に送っとくので開拓という難事業は任せた!という、目の前の現実しか見ないノープランでノーフューチャーな輩をまずは未来から駆逐すると、未来の見通しもより一層明るくなりそう。

お洗濯

特に美術好きじゃなくてもその名をよく知っている、超がつく有名な画家の絵は時に盗まれる。例えばフェルメール

 

盗まれたあと、美術館の展示スペースはそのままポッカリ空いていて、返せ返せと声高に返還を訴えるよりも痛々しかった。盗まれてしまった哀しみとか、今はもう見ることができない無念さとか。抗議の声は静かなんだけど、静かな怒りの方が深く長く尾を引きがち。

 

見るからにアレな感じの人が、ちょっと変わったことをアレな感じで訴えていても、見た目のインパクトほどには主張は伝わらないし、響かない。

 

見た目にインパクトがあっても、主張している内容そのものは新鮮味に欠けている。そんな場合は主張する側も新鮮味に欠けていることを承知しているから、見た目勝負でアレな感じで振る舞って、アレな感じで訴えるもんなんだと思ってる。

 

逆に、どこからどう見ても普通でありふれた人が、ものすごくインパクトのある内容なのに形式を整えて、どこからも文句の出ない形で主張する方が怖い。

 

インパクトのあるラディカルな主張が、普通でありふれた人から人へと静かに伝わるうちに、どこからも文句のつけようのない人も同じようにラディカルでインパクトのある主張をし始めると、もっと怖い。

 

誰もが知る超有名な画家が描いた絵は、盗まれたところで簡単には換金できない。簡単に換金できないにも関わらず、結構な数の名画が盗難にあってるんだとか。マニアなコレクターが手許に置いて、こっそり楽しんででもいるのか。手に入れた珍しいものや高価なものを、見て見てと見せびらかす人の方が、どう考えても御しやすい。

 

不法な手段さえ厭わず手に入れ我が物にした、珍しいものや高価なものを、気が済むまで手許に置いてこっそり楽しむような人ほど、きっと手出しもできずに御しがたい。

 

誰もが知る超有名な画家の手による盗まれた名画は、最終的には結構な確率で再び世に出てくるんだとか。しばらくどこかで寝かされたあと、実行犯に直に繋がるような胡散臭い人物やグループを経て、後ろ暗いところある人物やグループを経由し、最後はどこからも文句の付けようのない人物やグループの元から発見されるようになってるらしい。

 

誰もが知る超有名なホニャララによる作品であれば、何だってどんなものだって。値段がついて取引されるようになると、名画と同じように盗まれロンダリングされて、再び世に出てくるようになるのかも。

 

それがそもそも物言わぬモノならともかく。感情もあれば、感情のままに行動する肉体を持った生身の人間で、生身の人間なのに値札が付いて商品のように取引され、本人の意思や意図とは別に人から人の手に渡されるようになっても自身の商品価値を磨き続けるようだったら、立派な商品になれる。

 

商品になったあと、どうやってもう一度人間に戻るのか知らんけどさ。

 

代わりの商品見つけてくるまで、お前ずっと商品で人間には戻れねーし。という重要事項は、貴重で希少な高額商品の取り扱い時にはこっそり忍ばせたくなるもので、契約を結ばせる方には、ちゃんと説明したくないもの。

 

モノのように取引も売り買いもされたくないから、商品価値なんて磨かないし磨くわけない。という方が、すべてが売買の対象になるかも知れない世界では、もっともかつ何よりも人間らしくなるのかも。