クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ハードトレーニング

笑っちゃいけない、笑ってられないはずなのについ笑っちゃう。

 

怒られるに決まってる。何なら金返せとか。あるいは責任はどう取るんですか!?と角立てた人達から詰め寄られてもしょうがない場面なのに、笑いを取りに行けてきっちり笑ってもらえるのは愛嬌の賜物で、愛想は売り物になる。

 

愛嬌で一瞬にしてなごんだ場が、最後までなごやかだったのかどうかまでは見てないんだけど。

 

ショーマストゴーオンとか、イッツアショータイムとか言うけどさ。より大勢の注目と関心が集まる、ビッグイベントの場こそがショー。そう考えた時、ショーは何も舞台やコンサートで行われるものだけとは限らない。

 

誰かを不愉快にするよりも、愉快にする方が断然難しい。

 

難しいからお金になるんだという、いい見本でお手本を見た。実際はどのくらい割のいいお仕事だったのかわからないけど、決算という注目度の高いビッグイベントは、一度きりじゃないから今後も続く。何しろ公開企業である限り、義務だから。

 

初回だけはサービス価格でサービス満点にサービスして、次からはきっちり適正価格でしか引き受けないようにするとお安くならず、お披露目で大盤振る舞いした分まできっちり回収できる。

 

資金回収まで織り込んだ完成されたビジネスモデルがひとつ出来上がっていると、ショーを披露する場がどこであっても再現可能。再現できないようにジャンルごとに高い壁を設けて、越境を拒むようにできているもんだけど、その高い壁さえ超えてくるんだからおっかない。

 

これ以上ないほどおっかない存在なのに、表面はニコニコ愛想よしだからおっかないにも程がある。

 

愛想がよくて愛嬌があった方がお金に好かれると知ってるしわかってると、笑えない場でもちゃんと笑いを取りに行く。しかもその様子を、一部のステークホルダーに限らずその他大勢の大衆にまで届くよう、ガラス張り。

 

大きな名前を背負うのは、そういうこと。日本のみならず海外にまでその名を知られてる。そんなビッグネームを背負ったら、笑えない場でも笑わなきゃいけないし、隠し事が許されない場ではガラス張り。

 

ガラス張りの場でのきっつーいツッコミにも耐えようと思ったら、事前トレーニングは欠かせない。トレーニングは、ガラス張りの場にも耐えるためのトレーニングだと双方が了解してないと意味がなく、了解してない者にきっつーいツッコミだけ浴びせるのは、単なるしごきでいじめでハラスメントで人権侵害さ。

 

ペラペラの紙一枚の契約書。改竄が可能で容易だからと改竄して、ハラスメントする側に都合のいい内容に後から変えても、改竄が見破られたら意味がない。

 

責任感に度胸に精神力。その他諸々のものからビッグネームはできていて、お披露目の場という舞台が大きくなればなるほど、訓練された人じゃないと務まらないようにできている。

 

真似だけ上手になっても無理で、真似だけ上手な人が舞台に上がれないよう、舞台のハードルは上がっていくばかり。当たり前の訓練では足りない厳しい内容だから、一人をしごき倒すよりもチームという集団ごと訓練するようにしてるのかもね。かもかも。

 

どれだけ訓練しても愛嬌や、笑ってられない場面でもニッコリ笑顔のままでいられるかどうかは、きっと天性のもの。訓練で後天的に身に着くものではないから、天分のある人を探した方が早い。

 

誰かを不愉快にするのは簡単で、愉快にするのは難しい。だから、最初から不愉快が蔓延する場所では探さないさ。