クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

いつもの夏の過ごし方

嘘つきはどろぼうの始まりとはうまく言ったもので、上手な嘘には多くの人が心を動かされてたぶらかされ、大事な何かが盗まれる。大泥棒になりたかったらまずは上手に嘘がつけないと、気前のいい誰かさんの財布も締まりっぱなしで、心を盗むなんてとんでもない。

 

掲げた嘘、今はまだ現実になってないけどこれから本当にしたい、現実になって欲しい事柄が非常にささやかで現実を踏襲している場合は、嘘を真、現実にする力が自分にはないとわかっているから。

 

今はまだ誇大妄想としか思えない嘘でも大真面目に語れるのは、嘘を現実にする力を現に手にしてるかしつつあるからで、大ボラ吹きにだってヘーキでなれる。

 

ただでさえ魅力的で大衆をたぶらかす術に長けた人に大嘘を吹き込んで、たぶらかされた大衆の“民意”だからと多数を味方につけた嘘が本当になり、結局はたぶらかされた大衆かつその他大勢が泣きを見るなんてとんでもない。だからその口閉じに来る。

 

右から左へと大金がたやすく動く。

 

恐ろしいと実感するのは、本当に他愛もない何の実害があるのかわからないようなことで、大金が自在に動くのを目にした時。恐ろしいものはだいたい直視できないから、目を背けられる。

 

札幌から小樽に向かう札樽自動車道から、分岐する形で新しい高速道路ができた。終点は余市。おかげで古平・積丹といった海にも、仁木やニセコといった山方面にも出掛けやすくなった。

 

出掛けやすくなったから観光のトップシーズン入りした近頃は、週末ともなるとウニ渋滞やあるいはフルーツ狩り渋滞で、混み合っている。なかには季節柄、海水浴へと向かう車もいるのかも。早めの行動を心掛けてはいるものの、ラベンダー渋滞のようにごく早朝から渋滞ができるようになるまであともう少し。

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ウニも入ってる。

ラベンダー渋滞が起きるようなこと、国際観光地になって欲しいから、きっとこの道路はできた。

 

一度はラベンダーを見ないと、夏が来た気がしない。と、春の花見がわりに季節を確かめるように札幌から遠方へと出掛ける習慣が多様化すると、花の代わりにウニやお寿司またはフルーツ類。あるいはスキーやアウトドアスポーツへと好みも細分化していく。

 

目的は問わず、道路は使われるから使用料が発生する。ラベンダーのようなキラーコンテンツが、細分化した好みの中から新しく生まれれば、道路も安泰で作った甲斐もあるってもの。

 

ウニ食べるとお腹いっぱいになるから、腹ごなしに積丹岬あるいは神威岬を昇り降りするとちょうどいい運動になる。

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巡礼者のように、神威岬へと向かう人の群れ。

その日は曇りがちの空模様だったけど海は青く、積丹ブルーがきれいだった。神威岬からの眺めは世界遺産の知床にもちょっと似て、似ているから自然がより近い。都市近郊の水辺のように、人間がぼーっと過ごせそうな場所はどこにもないのが残念なところ。

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水辺だけど海水浴場ではないから、ぼっーと波の音に耳を澄ますような無駄なスペースはどこにもない。大自然が近い場所で、無駄に大自然と触れ合うスペースがふんだんに用意されている場所は、大自然とは遠い人が発想あるいは設計するからできるものなのかも。

 

知床にちょっと似た景色のせいか、観光客が足を踏み入れるとは思えない神威岬の向こう、追分ソーランライン沿いの景色は、やっぱり知床のお隣の羅臼に似て、羅臼に似てるからちょっとさびれてた。

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さびれてるように見えるのは観光客目線だからで、現地に住む人の実感とはまた別の可能性はある。地元の人のための施設は立派で、観光に頼る必要がないから観光地化してないだけのような気もした。

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唯一ともいえる観光客向け施設は、駐車スペース。

余市から積丹岬、追分ソーランラインを経て山、羊蹄山をめざして倶知安あるいはニセコ経由で来た道とはまったく別のルートをたどって札幌に戻る。距離としては遠回りになるけど渋滞はないので、体感としてはより楽な自然満喫コース。

 

渋滞だらけの2時間ドライブと、渋滞知らずの2時間ドライブだったら、後者の方がいい。目にする景色も自然物ばかりで目に優しく、市街地をドライブするのとはまったく違う景色ばかりだからよりリラックスできる。

 

夏が来たと言っても夜になれば涼しく、湿気はなし。湿気がないと、不快感もあまり感じず不快指数もきっと低い。頭を使うお仕事の人は、生産性を阻害する不快なノイズは厭って嫌うはずだから、不快な場所はきっとめざさない。

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白いジャガイモの花が花盛りだった。

 

なぜとどうして

脳みそを素手でこねくり回されるような悪夢を経てもなお、悪夢の前とちっとも変わらず嬉しい!楽しい!美味しい!と感情も感覚も失くさないのは意思の賜物。残っててよかった、不味いものは不味いとちゃんと吐き出す理性。

 

悪夢のような経験のあとで、何を食べても何を見ても何も感じず五感を失ったままならその人はカラッポのままで、単なる入れ物になるまであともうちょっと。意思を失い誰かの言いなりに動く生き人形は、とっても便利なオモチャで真新しい何かをインストールするにはもってこい。

 

もってこいだから、そんな危険なオモチャはそもそも作れないようになっている。

 

千や万の画像を見せても、人間の脳みそではそのすべてを記録して差異まで区別するのは至難の業。人工知能では可能らしいけど。千や万、あるいはもっと。大量の餌を食べた人工知能は、やがて自分でもオリジナルを創り出せるようになるとか。

 

誰も見たことがない。空前絶後なものは無理でも、どこかで似たようなものは見たことあるかも。という程度のオリジナルを求めている人には、それくらいでじゅうぶん。

 

低クオリティーでも、とにかく発注先が要求する一定量さえ常に確保できて量産に応じられれば、それはそれで立派な取引条件になるんだとか。クオリティーの高いものは往々にして手間暇がかかっているから、手間暇かけずに納期優先で納品優先だと、クオリティーなんてこだわってられない。

 

資金ショートが先かそれともかという火の車を回していればなおさら、クオリティーは二の次で、火の車を回していると時間が経つのもきっと早い。

 

どういう状況や環境を好むか、あるいは適性を発揮できるかにはやっぱりその人の個性が如実に現れる。火の車の回し方だったら、お手のもの。という人を手間暇かけてクオリティーを追求するような場に混ぜると、きっと混乱のもととなる。

 

クオリティーに対する考え方も、クオリティーそのものに対する理解もそもそも異なっている状態で、天と地ほども隔たっているクオリティーのすり合わせから始めよと言われたら、まずは途方に暮れる。

 

途方に暮れるだけでなく、他に受け皿のある人から逃げていく。

 

千や万の画像を見せれば、どこかで見たようなものは作り出せても、なぜそれが作られたのかまでは学習できない。

 

なぜ、どうしてそれが作られ続けるのか。理由は知られたくないけど、作らなければならない側としては、なぜもどうしても詮索しない相手の方が、やりやすいに決まってる。

どっちを見るか

何らかの疎外感を感じてる人がもしいたら、そんな時は絶対に多数派、大勢の人から支持されている側を見るようにした方がいいと思ってる。少数の人による少数のための少数の方を向いた側には、時には見れば見るほど疎外感が募るような仕掛けが潜んでいることがあるから。

 

疎外感が募れば募るほど、言動は過激になっていくもの。

 

少数の人による少数のための少数の方を向いた側についても感化されず、過激にもならなずに済むのは、そもそも疎外感をまったく感じてない場合だけ。少数派に対するシンパシーの持ち合わせさえそもそもなかったら、道具として便利に使ったあとは切り捨てることにも躊躇しない。

 

躊躇せずに切り捨てたあとの後始末は一体誰がやるのさと考えると、そんな余裕は多数から支持された側にしか最初からなく、余裕を絶やすわけにはいかなくなると、永遠に多数派を多数派のままで生かし続けることになる。

 

少数派に対するシンパシーはまったく感じられないのに少数派のリーダーを買って出るのは、永遠に多数派を多数派のままにしておく一環だから。と、考えた方がしっくりくるような人選もある。

 

多数派が永遠に多数派のままで固定されるようになると、世の中全体の流動性も落ちて、下克上のような社会階層間の移動も難しくなる。

 

後ろ指なんて気にせず社会階層の上層めざして駆け上がり、ゴールしたあとは自身がたどった道を落として模倣犯が現れない仕組みに変えると、もう下克上に脅えることなく安心できる。

 

自身の模倣犯、コピーは絶対に現れないような仕組みに変えるのは、万人が真似できる方法ではまったくないからで、なおかつ複数の模倣犯が現れるだけで世の中の方が先に壊れてしまうから。ということもあるかもね。そう何度も世の中、入れ物の方が壊れるようだったら、危なくってしょうがない。

 

危なくてしょうがないのに危ない橋を渡らせようとけしかける側は、過激なものこそを待ち望んでいる、一生飼い殺しが決定済みでごちそうとなる刺激に飢えている境遇なのかもね、と想像する。

鳩の身体は横に伸びる

GoogleさんにJuly 4thと尋ねてみると、花火が打ち上がる。めでたい。

 

花火が勝手に打ち上がる、この仕様に使われている技術は何なのか。まったく知らないけれど、結構前に同じようなものを見たことがあり、何もこんなところでこんなに凝った技を披露しなくても。。と残念に思った。

 

凝った技はたくさんの人に見てもらって、スゴイねと喜んでもらってこそ価値があるってもの。

 

July 4thといえば花火で、花火といえばJuly 4thだから、季節感とお国柄あふれるこの仕様には納得しかない。日本だったら、春先に桜の花びらがチラチラと舞い散っていたら、季節感とお国柄を感じるように。美しさを競う日本の花火大会とはまた別もので、煙も含めて物量で圧倒しにくるのがアメリカの花火だった。

 

いいねやリツイの数がものをいう。物量で攻めてくるSNSの世界も、どこまでいってもアメリカン。

 

仲よく並んでポッポーと鳴いていた二羽の鳩。一羽の鳩がおもむろにもう一羽の鳩の上に乗り、下敷きになった鳩の身体が横に伸びて鏡餅のようになっていた光景は、写真に撮って残しておきたかった景色ナンバーワンで、撮り損ねた今でも残念に思う景色ナンバーワン。

 

踏み台にされた鳩の身体が、あれほど伸びるとは知らなかった。あんなシーンに立ち会う機会は、ちょっとない。

 

いいねやリツイの数がものをいう、SNS経済圏では嫌われたら生きていけないように感じるけれど、案外そうでもないかも。

 

憎まれっ子が世に憚っているのもまたSNSの世界で、何かがうまくいかないのはみんなこいつのせいと、すべての責任を押し付ける存在があれば都合よく思考停止できる。事実は思考停止でなーんにもしてないだけなんだけど。なぜうまくいかないのか?と尋ねられた時には「こいつが悪いせいです」と言える存在があれば、便利。

 

便利なものは重宝されるから、重宝がられて生き長らえる。SNSの中では嫌われてるはずなのに、長生きじゃん。という存在の人がもしいれば、案外真相はそんなものかも。

 

管理する側としては、判で押したように毎回「こいつが悪いせいです」と同じような答えしか返ってこなかったら、普通は焦れる。焦れて自分の目で現地調査を行い、事実を確認したあとで「どうしてうまくいかないの?」と聞いてみても、やっぱり判で押したように同じ答えしか返ってこなかったらさてどうしましょ。

 

判で押したように同じ答えしか返せないのなら、同じようなことを延々とやってりゃいいんじゃないのと日常をループさせると、違う結果が出るかもね。

 

そもそもループする日常に生きてる人にとっては苦でも何でもないことも、非日常に生きる人にとってはきっと苦痛。苦痛だから、苦にする人から離脱する。

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遠出した時のもの。

天気がよかったら、遊びに行きたいんだけどさ。

内も外もなし

一点の曇りもなく100%前向きな気持ちでポジティブに取り組んだ過去のお仕事が、現在の自分を食わせている。あるいは現在の自分を助けているなら、そのお仕事はやっぱり胸の張れるお仕事だった。

 

逆に、200%後ろ向きな気持ちでネガティブに取り組んだ過去のお仕事が現在の自分を縛り、不名誉街道を邁進させられるなら、そのお仕事はやっぱり誰にも誇れるお仕事じゃなかったってこと。

 

不名誉街道を行かされる人たちの、不名誉記録更新につき合う必要なんてどこにもない。

 

毎月変動する単価と使用量で価格が決まるような仕組みでは、自助努力でがんばって使用量を減らしたところで単価そのものは相手の言いなりだったら、自助努力にも限界がある。

 

使用量=需要の減少を見越して、単価引き上げで対抗されたらお手上げ。

 

結果として現れる数字だけを取り上げても、しょうがないなと実感するのはこんな時。使用量は自助努力で何とかできても、単価に対する価格交渉はできず交渉材料もなかったら、価格決定権を持つ相手の優位性は揺らがない。

 

商流の上流を抑えたあとで、競争も競合もないとほぼ言い切れる状態にまで持ち込めたら、ほぼ独占状態となった市場では価格も思うまま。安くも高くも好きなように操作できる。

 

商流の上流を抑えたうえで、“思い知ったか我々の恐ろしさ、逆らったらより恐ろしい目にあわせてやる”。と、商流の内側に囲い込んだ人たち相手にスゴんでみたところで、“商流の上流のさらに上”からぶん殴られて同じようなことをされたら、今度は商流の上流であってもお手上げに追い込まれる。

 

あっそ。そういうことができるしやっちゃうんだ。じゃあそういうことができるしやっちゃう奴らからは、取り過ぎても絞り取ってもまったく良心は傷まないから、遠慮なく配慮するのもやめるね。という状態を招く。

 

商流の上流にいる人たちが、自分たちの名前や顔を出して“逆らったらより恐ろしい目にあわせてやる”なんて、やるわけない。やらせるのは別の人や別のクラスタ。別の人や別のクラスタにやらせているとわかっている、“商流の上流のさらに上”にいる人たちが目をつけるのも、やっぱりこの種の人たち。

 

目先の利益に左右されるこの種の人たちから動かぬ証拠を集め、集めたうえで“商流の上流”にいる人を“商流の上流のさらに上”からぶん殴りにくる。

 

争いは、同じような人たちの間でしか生まれない。

 

どこまでいってもやられたらやり返すを延々と繰り返すのは、不名誉街道を邁進させられている証拠。

 

“逆らったらより恐ろしい目にあわせてやる”と、商流の内側に囲い込んだ最終消費者への転嫁にもやがて限界がくる。転嫁できなくなったら、次は転嫁を強要する側にも犠牲、身銭を切る段階が訪れる。何しろ兵糧攻めは、食わせる相手が多ければ多いほどよく効くものだから。

 

身銭を切って最終消費者と同じレベルにまで来て価格決定権を失ったら、より外側、“商流の上流のさらに上”にいる人たちから見たら、内も外もなく混然一体となって、お前らみんな一緒状態の運命共同体が完成する。

 

内も外もないのに、何やってんのさ。

 

という価格交渉を阻むぶ厚い壁に覆われた、壁の向こうとお話したくてしょうがない人たちは、そりゃ交渉や駆け引きが得意な人材を重宝するわな。

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少し前の、一点の曇りもなく気持ちよく晴れた青空。

観光のトップシーズン入りしたというのに、お天気は冴えない。少し前は、暑過ぎず寒過ぎずでちょうどいいお天気が続いていたのに。お散歩びよりで気持ちよく晴れ上がった青空のもと、カラスも気持ちよさげに水浴びしてた。

先月食べたもののふりかえり

そもそもがカッコ悪いあるいは外聞を憚る出来事も、カッコよく言い換えるとサマになる。サマになって外聞もよくなるから、外聞の悪いことを生業にしている側は、常にカッコよく言い換える術や技を磨くんだと思ってる。

 

外聞の悪いこととはなーんのも関係もない正業についてる側は時に口下手で、口下手であってもおかしくとも何ともない。

 

神や仏と似て非なる存在は、突出した何かの突出を許さず壊しにかかる。と書けば、ちょっとスピリチュアル風。

 

だがしかし。罰を与えにくる「神や仏と似て非なる存在」を、「再配分を司るもの」と読み替えると途端に現実的になって、不正蓄財で肥え太った「出過ぎた杭」に過徴金や追徴金を課す光景を想像すれば、あぁなんだとなる。


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  • きのこのクリームパスタ、ごぼうのホットサラダ、干し柿クリームチーズ和え、ホワイトアスパラガス、チーズ 
  • 揚げ玉豆腐丼、切り昆布の煮物、はも蒲鉾、ごぼうのホットサラダ、味噌汁 
  • オイルサーディン丼、ナスのオイル煮、切り昆布の煮物、アスパラサラダ 
  • あさりとベーコンのペペロンチーニパスタ、干しシイタケとトマトのマリネ、野菜スープ 
  • 天丼 
  • 青魚(多分)の南蛮漬け、ナスと長芋の揚げ出し 
  • 大根と豚バラの味噌煮、油揚げとパプリカホウレン草の和え物、南蛮漬け 
  • 牛ステーキ、フライドポテト、野菜サラダ 
  • いわしの蒲焼き、油揚げとパプリカホウレン草の和え物、フキの白和え、茹でそら豆 
  • ナスとツナの味噌煮、ブロッコリーカニカマ和え、ふきの煮物 
  • 豚肉のケチャップ炒め、ふきの煮物、アスパラ春巻き、茹でそら豆 
  • 蒸し鶏の照り焼き、紫キャベツとベーコンのマリネ、ポテトサラダ 
  • シーフードあんかけ焼きそば、きゅうりのねぎしょうが風味漬け
  • 豆カレー、ホウレン草とツナとトマトのサラダ
  • 〆鯖、炒りこんにゃく、お茶漬け 
  • 肉うどん、スープ 
  • 鮭のみそ煮、炒りこんにゃく、切り干し大根とツナのサラダ、アスパラガスとチンゲン菜の和え物、味噌汁 
  • ピーマンの肉詰めズッキーニとトマト煮込み、とうもろこしご飯、切り干し大根とツナのサラダ 
  • 豚バラ肉と大根の昆布煮、ひじきのマリネサラダ、アスパラチーズ春巻き、味噌汁 
  • 炒飯、大根と豚バラ肉の昆布煮、アボカド豆腐、ひじきのマリネサラダ 
  • 揚げ鶏とさつまいものマリネ、アボカド豆腐、中華風おこわ 
  • ナスとピーマンの揚げ煮、そうめん、ひじきのマリネサラダ 
  • 蒸し鶏のバターしょうゆ炒め、ごぼうの味噌漬け、マカロニサラダ、なすの揚げ煮 
  • かつおのたたきサラダ風、マカロニサラダ、ごぼうの味噌漬け 
  • 自家製オイルサーディンとエリンギのパスタ、枝豆入りポテトサラダ 
  • 豚肉とちぎり厚揚げ炒め、きゅうりのしょうゆ漬け、トマトマリネ、枝豆入りポテトサラダ 
  • トマトチーズパスタ   
  • いわしのしょうが醤油和え、カボチャサラダ、にんじんともやしの中華風マリネ
  • ひっぱり、にんじんともやしの中華風マリネ

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さくらんぼ三種を食べくらべ♪

月食べたものの振り返り。何となく作ったものの方が出来が良くて、あれは美味しかったと思っても、今さらレシピを再現する術がない。何を参考にして作ったのか。過去の自分に問い詰めたい。

 

ヒット作は、自家製オイルサーディン。いわしや鯖などの青魚系は、煮つけだと生臭さが気になるので蒲焼きやフライなどにして食べることがほとんど。オイル煮にすれば生臭味も抜けることを発見したので、次回は鯖もオイル煮にしてから調理してみよう。

 

生臭さが気になるからカリカリになるまでよく焼いて、しょうが醤油に漬け込んだいわし料理のもともとの名前は、“いわしのジュッ”。ネーミングだけでなく素材も調理法もシンプルで、シンプルだからいまだに作り続けて四半世紀はとっくに過ぎた。

 

近頃のレシピの特徴のひとつは工程数の表示。

 

つねに工程数が少ない方を選ぶ人と、つねに工程数が多い方を選ぶ人では何が違うのか。問いを立ててから分析にかかるのは、何かを推理する作業にも似てきっと面白い。立てた仮説に縛られ過ぎて、間違った仮説を立てることもあるけどさ。

 

食後のデザートに水分多目な季節のくだものが並び始めると、北の国にもようやく夏が来たかと実感する。そもそも北国だから、栽培に適したくだものの数も限られる。露地栽培のくだものが手頃な価格で手に入る季節は短く、短いから貴重。


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栽培地の北限を超えてやってきたくだものは物流のたまもので、流通網が整備されてなかったら入手もより難しくなる。今年は平年より涼しいせいか、たんぽぽによく似た黄色い花を見掛け、季節感は狂うばかり。

ブランド毀損

ブランド好きな人ほどブランド毀損に熱心という仮説を個人的に持っていて、仮説に対する確信は強まるばかり。補強材料が多過ぎる。

 

以前観光に出掛けた場所でのこと。ほぼ隣接と言っていい位置関係の自治体それぞれの目立つ場所に、同じ業種のライバルになれそうな企業のショップを誘致していて、感じ悪いと思った。

 

Aという自治体にはaという企業のショップがあり、Bという自治体にはbという企業のショップが出来ていた。どちらのショップも以前はなかったもので、どちらかというともっと都会、街中にありそうなお店。

 

街中、もっと都会にありそうなお店が“おらが町”にやってきたら、きっと誇らしい。郷土愛にも郷土愛の表出にも個人差があるから、誰もが誇らしいと思うとは限らないけどさ。とはいえ今までなかったタイプのショップが進出してきたら、今までは素通りしてたに違いないような近隣からも集客が期待できるから、受け止め方としてはおおむね好意的。

 

郷土愛が、おかしな方向に暴走したり暴走させられたりするまでは。

 

ショップの進出そのものは、今までなかった方が不思議なくらいで立地的には妥当に見えた。だからaとb双方のお店がある“あの辺”を回ると、とりあえずその分野の何かにはありつけると認識されるようになって、長い目でみればエリアそのもののカラーにもなっていく。

 

たまにしか訪れない観光客からすると、用意周到に何でも用意してその地に臨まなくても、足りないと思ったちょっとしたものが現地調達できれば便利。

 

空港にユニクロあるいは無印良品のようなお手頃価格のお店があると予めわかっていれば、思ったよりも寒暖差が激しくて持参した服や小物では心許ないと思った時は、現地調達できるから安心なのと一緒。

 

とりあえずの間に合わせで買うものに、過度な流行や個性は求めないから、求める要素はごくわずか。寒暖差や急な雨風をしのげて、なおかつ場違いな印象を与えない恰好でいい。ところがこの種の、求める要素はごくわずかな必需品ともいえるものは、ちょっと地方になればなるほど、その辺ですぐ手に入るというわけにはいかなくなる。

 

この先しばらくコンビニありません。という看板が出ているのは、地方都市あるあるな光景で、この先にないならと手近なコンビニに駆け込むから、きっと看板を出した人の思うツボ。

 

食品に日用品。コンビニは、必需品がそろっているから便利で重宝される。食品や日用品ほどの消耗品とは言えないけれど、シーズンごとに買い替えるあるいは買い足すならそれは、やっぱり必需品。必需品なら毎回配送を頼むよりも、現地にお店を構えてもらった方が早い。

 

現地にお店を構えた方が早いから、進出してきた実店舗。aとb双方のショップがほどよい競争関係を保ったまま、ともに観光地にあるから観光客の落とすお金をストックに回し、そのエリア全体が繁栄していくようになるのが理想形。

 

理想よりも実利を追求し、このエリアに落ちるお金はすべて我々が独占してやると過度な競争に陥ると、エリア全体のバランスも崩れてもとに戻らなくなる。過度な競争が観光客の目にも露わになると、観光に来た観光客もガッカリで、観光客の落とすお金がストックにも回らなくなる。

 

競争そのものを、楽しむだけ楽しみ競争の果実だけはごっそり頂いてハイさようなら!となったあとに残されるのは、焼け野原。

 

競争からフェアが抜け落ちて、何でもありになればなるほど理想から遠くなる。だから理想追求型の人は、最初からフェアプレーを尊びこだわっている。

 

明日から7月とは思えないほど、肌寒い。天候不順は、観光のハイシーズンを迎える観光地にとっては打撃になるだけで、嬉しかないやね。