クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

夢のような数字はデカデカと

晴れ渡っているわりに、空気は冷たい。今日も最高気温は15℃にも届かず、冷えっ冷え。

 

時々見掛ける投資用不動産の広告。売り出されているビルやマンションの写真とともに、想定利回りや、満室時の賃料収入=年収が例示されていて、高給取りだけど先の保証は薄い人々の興味関心は、こうやって惹くものかと眺めてる。

 

年収一億レベル(あるいは年収うん千万レベル)の生活水準を落としたくなかったら、このエリアでこの程度の物件のオーナーになれば、とりあえずは現在の生活水準がキープされそうな雰囲気で広告してる。満室をキープするために必要となる、広告あるいは営業費用や固定資産税。または、改修時にはどの程度の費用がかかるのかといった、現実的な費用は当然秘されている。

 

夢のような数字はデカデカと。現実的な費用は秘されていたら、捕らぬ狸はなんとやらで、カモが葱しょって連絡して来るのを待つ用なんだと眺めてる。

 

今あるのはあぶく銭。という実感のある人ほどあぶく銭に対して見切りが早く、できるだけ速やかにあぶくを実需あるものに変えようとするもの。不動産とかに。

 

第一段階、わざとあぶく銭を掴ませる。

第二段階、あぶく銭が泡となって消える前に、ホラもっと実需あるものに変えなきゃ急いで急いでと、耳元で囁き続ける。あるいはもうすぐ大不況が来るよとオドロカシ続ける。

第三段階、目の前に実需がありそうな「お買い得物件」、あるいは「掘り出し物」をチラつかせる。

 

で、相手がその気になって重い腰を上げるまで、客観的なアドバイスをくれそうな周囲の友人知人あるいは業界との接触を断つよう仕向け、情報を遮断して囲い込んで、冷静な判断はできないように努めて狙った相手が「落ちる」まで待つ。

 

そのままでは売れない不良物件の引受先だからこそ、まずは気に食わない相手に不良物件を掴ませたい。満室になんかなるはずがなく、見込み賃料収入に届くわけもなく他に収入のあてもなかったら、待っているのは返済地獄。

 

必要な労働力が足りないときは、どうやってでも労働力を増やそうとする。最初にあぶく銭を掴ませてでも、数年間は黙ってよく働く労働力を確保に走る。人が足りないと、局所ではそういう状況が生まれるかもね、かもかも。

 

法で縛るのは、法で縛らないともうどうにもならないほど不法行為が蔓延しているとき。

 

労働力不足解消と気に食わない相手に労苦を負わせる仕組みがセットになっていたら、局所では人手不足は簡単に解消しそうだから、恐ろしい恐ろしい。

好きなように使う

三日と言わず、最高気温が日々10℃単位で上げ下げする。変わり身の早い温度変化を表すぴったりなフレーズ、あったら便利。

 

キラキラネームや外国人にも発音しやすい名前が増えたおかげで、変わった名前は以前ほど目立たなくなった。親が子供に非凡な名前を与える理由は、きっといろいろ。平凡な人生に倦んだ親が、非凡な人生を子供に望んで非凡な名前を与えることもありそうだけど、その逆もありそう。

 

俺・私のこどもに生まれてしまった君には、残念だけど平凡な人生は望むべくもないから、非凡な名前に負けずに非凡な人生を歩んでね。

 

という理由で非凡な人生を歩んだ親が、非凡な人生を子供に望んで非凡な名前を人生最初の贈り物として与えるケースもあるかもね。

 

世界中の誰もが知っている、アジア中の誰もが知っている、あるいは日本中の誰もが知っている。そういう親の子供に生まれてしまったら、よくも悪くも親の名前を背負って生きていくことになる。

 

勝手に期待されて失望されて、本人は何もしてなくても親を嫌う人や敵対する人からは嫌われ妬まれて、手が出せない親の代わりに危害さえ加えられる可能性さえある。平凡な親のもとに生まれた子供とは、スタート地点からしてすでに平凡からは遠い。平凡な人生を歩む方がハードモードだったら、非凡な人生を望む方がより現実路線。

 

知名度が高いばっかりに、平凡な人よりも百倍も千倍もイヤな目にあった人なら、知名度の高さがもたらす負の面にも敏感。親と同様に非凡な人生を歩むようなら、非凡な人生を歩んだ先人として親がよきアドバイザーにもなれるけれど、子供が平凡な人生を望んだら逆にお手上げ。

 

親とは別人格で、子供は親とはまったく異なる違う人生を歩んでいるんだと訴えてみたところで、勝手に親と紐付け非凡な親、あるいは平凡な人生を歩む子供の足を引っ張る人はきっと出てくる。

 

数が増えれば、それまでの秩序も崩れて目立たなくなる。

 

数を増やすのは、数が少ないばっかりに攻撃に晒されてきた人たちを新たなる攻撃から守るため。

 

江戸の敵を長崎で討つように、筋違いなことで仕返しをするような人は、蛙ではなかった子供を蛙にし、蛙の子は蛙と言いたいためだけに、事実さえ曲げてなーんの関係もない親子ともども蛙にしようとしたりする。

 

一面識もなければ、びたいち興味も関心もない。プロフィールを読んだだけで削除するような人間にフォローされたくなければ、登録してるSNSアカウントにログインして日々怪しいアカウントにフォローされていないか確認しろ。さもなくばアカウントを削除しろと言わんばかりのイヤガラセに明け暮れてるような人は、最初から常軌を逸している。

 

なーんでイヤガラセに明け暮れてるような人の、言う通りにしなくちゃなんないのさ。公序良俗に反しない範囲内で、好きなように使うさ。

唯我独尊

とうてい許されないことをしでかしたあとで、許さない相手を不寛容と断じてなじるのは、結局はたったひとつのことしか言ってない。

 

俺・私の言うことを聞け。

 

それ以外に解釈しようのない、唯我独尊がおさまらない人は、たった一人しかいない王国にでも閉じ込めるのが吉。俺・私の言うことを聞けと、かましたスピーチが永遠にこだまする場所にでもさ。

 

スプリング・エフェメラルと呼ばれる山野草系の可憐な草花類は、名が通り見慣れた園芸種に比べればもの珍しいだけに、見掛けると新鮮。春あるいは初夏を告げる季節の風物詩でもあるから、いくら可憐でもの珍しいとはいえ、“季節“を我が物にしようとは思わない。

 

ところがいるんだな、“季節”をわがものにする人が。わがものにするだけでなく、転売する人もいると知ったら、ただ驚く。

 

百名山ブームがどういうものだったのか知らない。知らないけれど、人気になってカジュアル層が押し寄せたあとに山野草がごっそり盗掘され、盗掘に嫌気が差してついには入山制限まで設けるようになったと聞けば、しょうがない。

 

珍しくて人の目を楽しませてくれるものは、できるだけ保護しましょと考える人と、珍しくてもの珍しいものを見掛けたら、わがものにして売り物にする人の間には深い溝がある。性善説では維持できずに性悪説に転じるのは、到底相容れない人種が同じ場所に集ったとき。

 

人が増える一方で、人の手による仕事が減っていくばかりのとき、減っていくばかりの人手に頼る仕事を増やすのは、善だと考える人はきっといる。凸凹をフラットにする行為は、概ねいいことで、人手に頼る仕事を増やす行為も言ってみればその一環。

 

でもさ、労働市場には決して入れてはいけない、ルールを破りまくる人も中にはいるわけで。ルールを破りまくるだけでなく、率先垂範して掟破り、例えて言えば強盗の方法を知らなくてもいい人に教えるようになり、教えたのに強盗しない奴こそ悪だと集団のルールさえ変えられたとき、改悪されたルールに従う人を増やす行為は善か悪か。

 

人を増やすときには、そのくらい考えてからにしないとさ。

 

性善説で成り立っていた場所に、率先垂範して強盗やゆすりたかりの方法を伝授することこそ善なんだと説く人が現れたら、性善説なんてあっという間に崩壊する。

 

相容れない人種を無理に同じ場所にとどめると、まずは容れ物から崩壊する。崩壊に懲りた人がこしらえる新しい容れ物には、相容れる人種しか居られないとなって残念がるくらいなら、最初から崩壊するような真似はそもそもしないわな。

 

もっとも得をした人が犯人、そもそもの元凶なんだと、たいていはそう考える。

スクスクのびのび

暑過ぎず、寒過ぎず。人にとってちょうどいい天気は、植物にとってもちょうどいいはずと、天気がいいとイソイソと育てている植物にも日光浴させる。日当たりを好む植物も、冬季は寒さや風が気になるから外には出せない。

 

スクスク育てと思うから、スクスク育つようにと日にも当てる。人も一緒で、冬が長いと日差しは貴重。だから貴重な日差しを求め、好天に恵まれるとイソイソと外に出る。

 

スクスク育つ環境にあるものを、お前はスクスク育たなくていいと頻繁に罵声を浴びせてストレス環境におき、時には日差しさえ遮って不健康な状態へと誘うのは、「育ち損なえ」という何よりも雄弁なメッセージ。

 

非言語的コミュニケーションは、直接言葉を交わす言語的コミュニケーションよりも、はるかに直裁に言いたいことを、「誰が」という主語抜きで伝えてくる。「誰が」という主語なきメッセージなんて無理無駄無用の最たるもので、要するに暇つぶし。

 

君の演技ならラズベリー賞連続ノミネート間違いなし!!!つまり大根という人にペンを持たせてみたら、あららオスカーもびっくりの文才が開花した。なんてことはあるはずない。最終的な表現が演技になろうが文章になろうが、そもそも感性に由来するものである限り、感性に乏しい人に何やらせても結局は大根。

 

あの人、見た目は本当に素晴らしいんだけど、何しろ大根なんだという人にピッタリなのは、セリフなし。額縁の奥でミステリアスに微笑むだけで、ひと言も喋る必要のない役や、あるいは短いセリフしか必要のない役。憂鬱そうに頭かきむしってるだけでも、いいかもしれない。大根にたくさん喋らせたら、すぐに大根だとバレちゃうから。

 

感性が試される、感性がモノを言う世界なんてめざしたこともない、大根と分かり切ってる人に大根役をあてがうのは罰ゲーム。感性を必要としない、理非善悪しか求められていない世界で、間違った用法用例を用いた罰。なのかもね。

 

宗教と資本主義が嫌いなものはなーんだ。という問いがピンと来ない人は、気付かないうちに宗教も資本主義も嫌いな人やものに取り込まれる可能性が、より高くなる。最初は親切な人や人たちだと思ったのに。。何でこんなことやらされてるんだろうと少しでも思った時には、もう遅い。

 

誰かや何かが育ち損なう、「育ち損ない」が増えて嬉しいのは、すでに育ち損なって不健全路線まっしぐらな人たち。スクスクあるいはのびのび育てと思う相手を、「育ち損ない」育成ゲームに参加なんて、そもそもさせるわけがない。

 

紫外線も強かったに違いないけど、総体では好天に恵まれた、いい連休だった。長かったけどね。

恥と権力

桜は満開で、ウグイスがホーホケキョと鳴く。あぁ調子っぱずれ。

 

より大きな反響を集めるのは、ネガティブなネタかポジティブなネタか。どちらがより好まれるかで、その場の性格もすっかりあからさま。

 

パンのみにて生きるにあらずが人間なら餌につられるのは動物で、期待された以上の役割を演じて大きなご褒美を狙うのは、よく躾けられた動物以上のなにものでもない。

 

過去の大きな出来事もすぐに忘れられてしまうから、繰り返し警告して注意喚起しないと、都合よく忘れられてしまう。世界が西と東に分かれていた頃、時には死を賭して西側へと亡命する人が後を絶たなかったのは、自由を求めてたから。自由なき生活は死に等しいから、死を賭しても亡命する価値があり、自由にはその価値があった。

 

自由を売り渡す代わりにパンを得た人には、馬の耳に念仏で豚に真珠で猫に小判で犬に論語なんだけどさ。

 

権力者に恥をかかせると、何しろ権力者なだけに、恥をかかせたシステムそのものを変えてしまう。百人千人の一般人が恥をかかされても事態は大して動きゃしないけど、権力者なら話は別。一人の権力者が恥をかくことで、百人千人の一般人が今後は恥をかかずにすむなら、一人の権力者に恥をかかせることを選ぶシステムは、結局マイノリティにはより厳しくマジョリティに優しい。

 

数の力で押し切ってるだけだから。

 

恥をかかせるのが権力者ならまだ民主的で、権力者でも何でもないマイノリティに多数が詰め寄って恥をかかせるのなら、単なる私的制裁でしかない。私的制裁がシステムとして温存されているならそこは、西部開拓時代も真っ青になるほどのフロンティア。

 

フロンティアは私的制裁が横行する場所のことで、法治が整うまではそのまんま。法治が整った場所では私的制裁もできないから、私的制裁を好む人たちは法治からは自主的に遠ざかり、ここはフロンティアだからと彼方をめざす。

先月食べたものの振り返り

自分が信じてもいないことを、他人に信じてもらうのは難しい。UFO発見か?やビッグフット発見か?と、「か?」つきなものを発信することが常態化し、他人をたぶらかすことに無上の喜びを感じてるならともかく。

 

多分地味にそろそろ一年分は貯まったはず。あ、これ作ってみたいと猛烈に思う家庭料理には、やっぱりめぐり合うのが難しい。本格的な何かは外で食べればいいもので、家で食べるものじゃないと思っていると、繰り返し作ってるものはやっぱり似たり寄ったり。

 

月食べたものでまた作りたいと思うものは、たらこと絹さやの混ぜご飯に、干しシイタケのバター炒め。あとはバジルとチーズ入りの餃子に、空まめの甘煮に蕗とタケノコのごま酢あえと、まぁなんて普通。

 

茶色いおかずが昔は嫌いだったけど、加齢とともに駅弁に入っていそうな茶色いおかずを美味しく感じるようになった。カフェ飯みたいなものは今後も食べられそうだけど、茶色い系のおかずはそろそろ絶滅が危惧されて、レッドリスト入りしてもおかしくないせいもあるから。

f:id:waltham70:20190502165718j:plain

f:id:waltham70:20190502165744j:plain
f:id:waltham70:20190502165748j:plain
f:id:waltham70:20190502165934j:plain
f:id:waltham70:20190502165912j:plain
f:id:waltham70:20190502165946j:plain
f:id:waltham70:20190502165927j:plain
f:id:waltham70:20190502165841j:plain
f:id:waltham70:20190502165851j:plain

f:id:waltham70:20190502165902j:plain

f:id:waltham70:20190502165908j:plain
f:id:waltham70:20190502165854j:plain
f:id:waltham70:20190502165905j:plain
f:id:waltham70:20190502165938j:plain
f:id:waltham70:20190502165847j:plain
f:id:waltham70:20190502165924j:plain
f:id:waltham70:20190502165858j:plain

f:id:waltham70:20190502165951j:plain

f:id:waltham70:20190502165917j:plain
f:id:waltham70:20190502165837j:plain
f:id:waltham70:20190502165955j:plain
f:id:waltham70:20190502165843j:plain
f:id:waltham70:20190502165942j:plain
f:id:waltham70:20190502171624j:plain
f:id:waltham70:20190502165931j:plain
f:id:waltham70:20190502165833j:plain
f:id:waltham70:20190502171208j:plain
f:id:waltham70:20190502171205j:plain
f:id:waltham70:20190502171200j:plain
f:id:waltham70:20190502170623j:plain
f:id:waltham70:20190502170618j:plain
f:id:waltham70:20190502170615j:plain
f:id:waltham70:20190502170611j:plain
f:id:waltham70:20190502170607j:plain
f:id:waltham70:20190502170603j:plain
f:id:waltham70:20190502170558j:plain
f:id:waltham70:20190502170554j:plain
f:id:waltham70:20190502170551j:plain
f:id:waltham70:20190502171924j:plain
f:id:waltham70:20190502170548j:plain
f:id:waltham70:20190502170333j:plain
f:id:waltham70:20190502170328j:plain
f:id:waltham70:20190502170325j:plain
f:id:waltham70:20190502170321j:plain
f:id:waltham70:20190502170316j:plain
f:id:waltham70:20190502170312j:plain
f:id:waltham70:20190502170308j:plain
f:id:waltham70:20190502170304j:plain
f:id:waltham70:20190502170301j:plain
f:id:waltham70:20190502170257j:plain
f:id:waltham70:20190502170254j:plain
f:id:waltham70:20190502170250j:plain
f:id:waltham70:20190502170247j:plain
f:id:waltham70:20190502170244j:plain
f:id:waltham70:20190502170241j:plain
f:id:waltham70:20190502170237j:plain
f:id:waltham70:20190502170233j:plain
f:id:waltham70:20190502170229j:plain
f:id:waltham70:20190502170226j:plain
f:id:waltham70:20190502170222j:plain
f:id:waltham70:20190502170218j:plain
f:id:waltham70:20190502170215j:plain
f:id:waltham70:20190502170211j:plain
f:id:waltham70:20190502170208j:plain
f:id:waltham70:20190502170205j:plain
f:id:waltham70:20190502170159j:plain
f:id:waltham70:20190502170155j:plain
f:id:waltham70:20190502170150j:plain
f:id:waltham70:20190502170147j:plain
f:id:waltham70:20190502170143j:plain
f:id:waltham70:20190502170139j:plain
  • たらこと絹さやの混ぜご飯、干しシイタケのバター炒め、かぼちゃの揚げ煮、サラダ 
  • ポークマヨケチャップ、サラダ、スープ 
  • 水菜とジャコの和風パスタ、ごぼうのホットサラダ 
  • 牛カツ、ズッキーニのナムル、サラダ 
  • 鰆の南蛮漬け、ナスのチーズ焼き、マッシュルームソテー、サラダ 
  • シャウエッセン肉の野菜炒め、鰆の南蛮漬け 
  • 鶏の照り焼き、野菜添え 
  • 野菜トッピングカレー 
  • バジルとチーズ入りの餃子、ポテトサラダ 
  • 肉野菜炒め、菜花のじゃこ和え 
  • 牡蠣とブロッコリーのペペロンチーノパスタ、ポテトサラダ 
  • 鮪とアボカドの山かけ丼、舞茸汁 
  • 舞茸入り卵とじ蕎麦、カブの中華風和え物 
  • お好み焼き、刺身コンニャク、菜花のじゃこ和え、干しシイタケのバター炒め
  • 野菜そぼろ、炒りコンニャク、お味噌汁 
  • 豆腐と揚げ玉丼、帆立と干しシイタケのバター炒め、お味噌汁 
  • 八宝菜風肉野菜炒め、切り干し大根の煮物、トマトの甘酢、かきたま汁 
  • 塩サバ、納豆、切り干し大根の煮物、なめたけ、小松菜のごま和え 
  • タケノコご飯、若竹煮、空豆の甘煮
  • 豚の生姜焼き、若竹煮、炒りコンニャク、ポテトサラダ、お味噌汁 
  • タケノコとオイルサーディンのパスタ、スープ 
  • 鮪のたたきマリネ、空豆の甘煮、切り干し大根の煮物、なめたけ 
  • たたききゅうりと牛肉のマリネ、蕗とタケノコのごま酢あえ、アスパラ春巻き、なめたけ 
  • ひっぱり、アスパラ春巻き
  •  豚肉と緑の茹で野菜のマリネ、にんじんのポタージュ

 節約を意識した時に重宝するのは乾物。丸一日以上かけて戻した干しシイタケは、生椎茸にも劣らぬ風味と厚み。生ものはすぐにダメになるから、乾物だと使い勝手がいい。

 

豆の甘煮、特にさやごと甘辛く煮含めたものは、個人的には関東以北の人の食べ物というイメージを持っている。お味噌汁を「おみおつけ」と呼んでそうな。ちなみに関西人は、おでんのことを「関東炊き」と呼んでたそう。

 

その種の地域性や季節性も、グローバルな金融資本主義の前には吹けば飛んでいきそうなくらい、儚くなったもんだね。一食のおかずの数が減ったというのは、昭和から平成にかけての家庭料理において、最も大きな変化だと思ってる。家族の数が多いままだと、そうでもないんだろうけど。

 

多数のフォロワーを手に入れたあとで絶対評価が存在しない場所に乗り込めば、数の力で評価も操作しやすくなる。なにしろそこは相対評価の場所で、絶対のものさしは存在しないんだから。

 

だからといって、いくら強力な推しがあったとしても、引きがなければせっかく操作した評価も台無しで、長続きなんかしないんだけどさ。

札幌定点観測

平成最後の日。遷都に改元。気分を刷新するにはもってこいのイベントとはいえ、法整備が整った現代では、早々気分でできることじゃない。遷都よりも改元の方が、まだ手が付けやすかったと見るべきか。

 

梅と桜が一緒に咲く札幌では、梅よりも先に桜が盛りを迎えていて、北国の春は調子っぱずれ。桜の花びらが舞い散る中で嗅ぐ梅の香りは、季節感を狂わせる。

f:id:waltham70:20190430142039j:plain
f:id:waltham70:20190430142046j:plain

今年もきれいに咲いた桜もあれば、去年よりはややすっきりさっぱりした趣の桜もあり。毎年咲いていても、その咲きぶりには微妙な変化が現れる。いつも見ている人ほど、その微妙な変化にも敏感さ。

f:id:waltham70:20190430142015j:plain
f:id:waltham70:20190430142034j:plain
f:id:waltham70:20190430142011j:plain

桜で盛り上がっているけれど、思えばもうあと二週間もすればライラックまつり。陽気につられてか、気の早いライラックの蕾もほころんできた。

 

そぞろ歩くには、ちょうどいい陽気。暑すぎず寒すぎずで、花粉もなし。何度繰り返しても言い足りないほど、花粉のない春は素晴らしい。

 

札幌よりも春が遅い地方で今ごろ見掛ける、地面に咲く黄色い花は水仙。季節が進むと、水仙からたんぽぽに変化するんだな、きっと。そういや福寿草も可愛らしい花を咲かせていて、やっぱり北国の春は季節感を狂わせる。福寿草といえば、お正月を思い出すものなんだけど。

 

白と茶色。殺風景な雪の季節のあとに見る、青空と淡いピンク色の取り合わせは、周囲も気持ちも明るくする。

f:id:waltham70:20190430142018j:plain
f:id:waltham70:20190430142008j:plain

桜色のチューリップも見っけ。ワシントンDCかどこかの桜まつりでは、きれいな桜色の着物を外国人女性が着ていたけれど、華やかな桜色は花ではなく皮から。それも、桜が咲く直前の皮からしか取れないんだとか。

 

花びらから取り出したものでもないのにあの華やかさで、花びらだとああも華やかにはいかないという、いかにも桜らしい逸話。

 

スミレの一種にも見えるけれど、スミレに似た外来の園芸種かも。外来の園芸種に押されてか、固有種は駆逐されがち。

f:id:waltham70:20190430142058j:plain
f:id:waltham70:20190430142054j:plain
f:id:waltham70:20190430142031j:plain
f:id:waltham70:20190430142043j:plain

極端から極端にポジションを変える、その人の正体は、保守でも革新でもなく保身。平成よりももっと遠くなる昭和でも、極端から極端に立場を変え、御身大事で保身がうまくいった人ほど、令和の時代も上手に生き延びる。

 

寿命が延びて百年生きたとしても、目にする顔触れは変わらず保身上手にばっかり囲まれていたら、大して面白いことなんてなさそ。

 

朝と夜とのあいだに気持ちは変わる。ばいばい、平成。

f:id:waltham70:20190430142024j:plain
f:id:waltham70:20190430142051j:plain