クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

フロンティア

虫の声に鳥のさえずりや小川のせせらぎ。世界で進行中の人口爆発後の近未来では、これらも贅沢品の一種になるかもね。

 

ところで自然豊かな場所は、一般的には過疎気味で人が少ない。人が少ないから、気晴らしに出掛けたくなるようなショッピングモールもステキなショップにレストランも、すぐ近くにはなかったりする。

 

材料や素材さえあればだいたい何でも自作できる人は、半径5キロ以内に便利なお店がなくても生きていけるけれど、素材を手に入れる労力の方が大変になると、そうも言ってられない。

 

情操によさげな自然は豊かで、すぐ近くにはないけれど欲しいものはだいたい何でも揃う便利さも兼ね備えている。あったらいいに決まっている、ほどよく郊外でほどよく都市でもある場所は、何でもあり過ぎる過剰さを嫌う人にはぴったり。

 

今さら何にもない大自然に戻って開拓者になるのは、多くの人にとっては無理。

 

例えば戦後、食糧難だった頃の海外移民やあるいは北海道への集団開拓。集団で新天地を耕せと送り出すのは、ていのいい棄民で人柱。どれほどの超人であっても、ひとりやふたりではどうしようもない未開の地を開墾するには、頭数が欠かせない。集団を救うために小集団が人柱にされることもあったんだと、開拓史は教えてくれる。

 

旧主はいなくなり、新しい主に頭は下げられないとなったら、新天地もめざしやすくなる。見方を変えればあってよかったね新天地で、リセットしたい人にはあると嬉しい新天地。

 

食い詰めて放り出されることもあったけれど、基本的に土地はご褒美だった。土地を耕す人、土地の改良に優れた技術を持つ人。売り物になる商品を扱う人に、それらすべてを管理する人を備えた集団にとっては、広々とした手つかずの土地の方が、狭くなるばかりで耕しようもない土地よりはるかに魅力的。

 

開墾しがいのある新天地を用意をできず、それでも新天地獲得をめざして率いる集団に無理をさせ、させた無理に報いようと思ったら必要になるのはお金。内々にお金で解決ということは、新天地獲得には失敗したんだねと思って、現代のフロンティアを見てる。

胃袋

高級なものからB級なものまで。その時々で流行る食べ物に違いはあっても、グルメ番組にグルメイベントはすたれずいつでも人気。あるいは大人気。

 

胃袋を掴むという言い方があるけれど、日本人の胃袋掴まれ過ぎで、胃袋を掴まれると弱い国民性もあからさま。高級なものは高級なりに、そうでないものはそうでないなりにピンからキリまで食のレベルが高いと、食への興味関心も増すからか。

 

あとは火を通すだけ、あらかじめセットされた調味料で味を付けるだけ。というお手軽な食事キットは、それならもうすっかり出来上がったものでいいじゃないと外野は思うけれど、胃袋を掴んでいるのは私。と、自己主張するにはそのひと手間が欠かせない。

 

ラストワンマイルみたいなもの。

 

調理済みですっかりできあがったものを温めるだけになると、各自のハラヘリどきに合わせ、勝手に食べ始めるようになるまであともう少し。家族が揃うのを待つまでもない。勝手に食べることが常態化すると、今度は各自が食べたいものを食べたいように買ってくるようになり、胃袋を掴んでいる相手はもう家族じゃなくなる。

 

そもそも食事の支度や世話は、家族以外の誰かにすっかりおまかせで、胃袋でつながってない家族ならともかく。

 

一般的にはまだ胃袋でつながっている家族の方が多数で、胃袋でつながることもなくなった時に、では何で繋がるのかというとその先はバラバラ。胃袋を掴まれると弱い国民性は、いつバラバラになってもおかしくない“みんな”を、かろうじて食がつないできたともいえる。

 

○○しなくてもヘーキで生きていけるものは多数あれど、食べなきゃ生きていけない。食べるものは十分にあっても、今自分の目の前に食べたいものがなく、入荷してくる食品の数が日々減っていくと、飢えへの恐怖も増す。

 

着倒れに食い倒れに履き倒れ。それぞれ京都に大阪、神戸人の気質を表していて、道楽も過ぎると堕落する。

 

道楽が過ぎるほどに何かにのめり込み過ぎると、必要以上、あるいは分相応以上にあれもこれもと欲しくなり、節制できないと破滅する。はたから見れば、一体何が面白いんだか???と思われるような、淡白な態度で道楽は道楽として親しんでいると、堕落もせずに長続きしやすい。暇な時間をどう過ごすのか。堕落せずに暇は暇として楽しむ態度には、これ以上ないほど各人の性格が現れる。

 

気持ちよく晴れていたけれど、空気はまだまだ冷たく手袋が手放せない。薄手の春用だけど。手袋が不要になった時は、本当に春が来たとき。

あれ、俺・私がやったと誇れないこと

イギリス東インド会社という私企業に支配され、有名無実化していたインドのムガール帝国が名実ともに滅んだのは、セポイの反乱がきっかけだった。

 

私企業が、本国イギリスの10倍以上という広大な外国を統治するには、現地人の協力が欠かせない。東インド会社に傭兵として雇用されていた人達がセポイで、上官はイギリス人。そのイギリス人が、セポイにとっては宗教上のタブーを強要したことが、大規模な反乱が起こるきっかけとなったんだから、宗教上のタブーは侮れない。

 

現在から振り返れば、宗教上のタブーを強要したといっても、そこにはディスコミュニケーションがあり、そもそも相容れずにくすぶっていたところに飛びきり燃えやすい燃料を投下したら、ムガール帝国まで燃えちゃったようなもの。

 

燃えるついでに東インド会社も道連れにし、セポイの反乱がきっかけでイギリス東インド会社も解散し、以後はイギリス女王がインド皇帝としてインドを統治する。

 

見方を変えれば、宗教上のタブーを強要したと勘違いされるようなことをしたイギリス人の行いは、結果としてイギリス、それも女王にプラスに働いている。自身が働いていた会社は潰れちゃったんだけどさ。そもそも交易権を独占していた東インド会社の従業員は、その立場を利用して存分に私腹を肥やしていた。

 

産業革命が始まり世界各国で独立戦争が起こるような世紀の変わり目は、投資先を間違えず、国家よりも資本に忠誠を誓えば、国家をしのぐスケールで私腹をこやすことも可能だった時代。

 

国家をしのぐスケールで私腹をこやしつつあった資本家集団から富の源泉を奪い、直轄地として国が統治することは、資本家集団への牽制にもなる。時には国の名をチラつかせながら好き勝手されて、国家より強大になって制御できなくなったら困りもの。

 

ついでに、そもそもイギリス東インド会社による支配を受け入れ済みで、なかば飼い慣らされた相手を飼い殺しにする、絶好の機会であったともいえるかも。

 

私企業による支配に引導を渡し、有名無実化していた帝国は滅亡し、その後の植民地経営は帝国内各地に散らばる保守系藩王国保護に変わって弾圧も緩くなれば、独立を叫ぶ声も一旦遠くなる。

 

一体誰が、宗教上のタブーを利用してセポイを焚きつけようとしたのか。不名誉かつ宗教上のタブーという危ない橋を渡った人物の名は、現在まで伝わってない。

 

不名誉なことは、反乱が起これば真っ先に謀殺されるようなポジションの人物にやらせたものか。あれ、俺・私がやったと大声で触れ回れないことは、だいたいいつも闇の中で、藪の中。宗教上のタブーを利用して反乱を起こさせるのは、藪をつつけば蛇が飛び出すようなできごと。

 

自分が働いていた会社が潰れても構わないような危ない橋を渡れるのは、雇用されてる会社がそんなにもイヤで嫌いだったのか。との邪推も捗り、きっかけを作った人物の”その後”は、伝わってないだけに興味をそそる。

 

世紀の転換点となったできごとなのに、誰が企画して実行したのか。詳細が伝わってないと陰謀論がそこに生まれ、実態以上に胡散臭く見える、イギリス東インド会社セポイのイギリス人上官たちかな。

 

その逆に、大きな功績があったにもかかわらず、不名誉な罪を着せられた人の名前は、だいたい後世までちゃんと伝わってる。途中でその名が途切れた時は、また潮目が変わり、世紀が変わったサイン。

踏み台

ほっておけばバラバラになるのが見えている、烏合の衆のリーダーは任期も長く、与えられる権力も強大。構成員が多様な集団をまとめ上げるには、強権が欠かせないから。

 

逆に、同質な集団をまとめ上げるには強権も強いリーダーもいらない。なんなら持ち回りでもいいくらいで、同質な集団をまとめ上げるには「同じ」であることがより重要で、協調性や同調性が欠かせない。

 

同調性を重んじる集団内では出る杭が打たれ、出過ぎた杭が打たれないのは、強権でまとめないとバラバラになる多様な集団。という目で集団と集団が選んだリーダーを見ていくと、集団の特性もよりクリアー。杭さえ打てない場所ならそれはそれで、もう杭さえ打ち込む余地もないほど支配の行き届いた場所。

 

多様性を認めた場所はやっぱり居心地が悪そうで、居心地が悪そうではあってもここが悪いあそこが悪いと、アラ探しも活発。アラ探しさえもう自由にできなくなると、一瞬居心地は改善されるけれど、そのかわり多様性は消えていく。

 

何かが大きく変わっていく時には、犠牲やむなしと言いがちな人が、実際に犠牲にした人の顔写真つきの名札をぶら下げてるなんてことは、あるわけない。

 

じゃああなたは何年何月何日に、誰をどのように犠牲にしたのですか?と聞かれても、そのようなことがあったと人づてに聞き、大変悲しく思っている。とか何とか他人事のように答えるだけで、他人事にするための不断の努力も欠かさない。

 

ノアの箱舟に乗るための混乱あるいは競争から抜け出したのに、あいつはあんなことしやがった加害者だと後ろ指さされ続けるんだったら、割に合わない。

 

「犠牲やむなし」は、拝金主義を加速させるためのマジックワード

 

誰かや何かを犠牲にして手にする利益と、生涯汚れ役として後ろ指さされ続ける人生とを天秤にかけた時、はした金では割に合わない。身を隠すにも、隠居するにもお金は欠かせない。だから、汚れ役を引き受けても割に合う金額は右肩上がり。

 

犠牲やむなしと言い出した時から拝金主義も加速し、ってか稼がないとやっていけないことにようよう遅まきながら気付いたサイン。

 

その理屈はきっと経験者ほど身に染みていて、つまり誰かを犠牲にする汚れ役を引き受けたものの、生涯安泰に生きるには貰ったお金や何かでは足りなくて、次に同じような汚れ役を引き受ける時にはより報酬額の大きい方を選ぶようになっている。

 

言ってみれば再犯者により有利なシステムでは初心者の勝ち目は薄く、一年二年で使い果たすような報酬を手にするのがせいぜいのとこ。初の汚れ役で生涯も安泰な高額報酬も獲得なんて、夢物語もいいとこ。

 

夢物語になると、現実に生きる場所のある人ほど離れていく。現実に生きる場所のある人から離れていった場所ではルールや遊び方も変わり、汚れ役はもう割に合わない。割に合うのもお得なもので、別の役。

 

犠牲やむなしと言いたがりな人は、踏み台あるいは犠牲にしてのし上がるつもり満々だったのに、気付けば自らが犠牲かつ踏み台にされてしまい、自らを慰めていると思えば含蓄がある。

古代と近代

鳴くよウグイス平安京で、ホーホケキョ。

 

今でもそんな風に、年号を記憶するのかどうかは知らんけどさ。京都に都が開かれた、その前の飛鳥・奈良時代の都といえば奈良。途中で遷都したりもしたけれど。奈良に都があった頃やそれ以前は上代、昔々扱いで、鎌倉幕府が開かれてようやく中世となる。現代、遠いな。

 

その間の平安時代は「中古」と呼ぶと、これはその昔に日本文学史で習ったもの。政治法制上や、社会経済上ではまた別の呼び方があり、同時代なのに複数の呼び方があることにさして違和感も感じない心境は、思えばこの辺に遠因があるのかも。

 

すべて「ひとつ」にまとまっていれば、そりゃ便利。とはいえ「ひとつ」になれない側には「ひとつ」になれないだけの理由もある。

 

文学・政治・経済。それぞれの専門家の立場から時代を区切ってきたのは、文学・政治・経済の専門家が政権の交代とともにすべて入れ替わる、二大政党制でありがちなことは、昔に遡るほどあり得なかったからともいえる。

 

権力を握りたかったら、権力者を斃せばいいだけ。権力を手にしたあとは、もとからいる文学・政治・経済の各専門家の力を借りて、政権を運営すればいいだけという状態は、言ってみれば居抜き物件に引っ越すようなもの。

 

前の権力者を倒したという武力が背景にあり、専門家の側にも時の権力者に仕えるものという意識が染み込んでいれば、“居抜き物件の主(あるじ)交代“はわりとスムーズ。

 

逆に、権力者の交代によって文学・政治・経済などすべての専門家が入れ替わるのなら、新しい権力者には新しい権力者お抱えの専門家集団が揃っているということ。専門家集団を従えた権力の交代は、交代というより奪取、侵略の方がよりしっくりくる。

 

ある時点を境にすべての人材が入れ替わった過去の出来事といえば、明治維新に敗戦。どちらも、それまでの政権交代ではあり得ないほど外国の力を借りている。外国の力を大いに借りると、それまでの社会とは大いに異なる社会が出来上がるのは、過去が証明してる。

 

現代だって、外国とのお付き合いが深まるほどに、日本古来の風習は薄れていく。ただし日本古来の風習が、逆に商機になるようなケースはのぞく。

 

お花見に端午の節句に雛祭り。少子化社会でシックスポケットを持つ子供の節目を寿ぐお祝いは、派手でゴージャス。派手にゴージャスに日本古来の風習に親しむ必要のない人は、もっとカジュアルに食べ物とか食べ物とか食べ物で、カジュアルに古来の風習を取り入れる。

 

ちなみに、年号を覚える時にホーホケキョなんて言うわけないけど、うぐいすの鳴き声さえ知らない聞いたこともないという本邦在住者は、きっとひと昔前より増えた。

 

梅の花を愛でながら、出席者各人が歌を詠み合うという風流かつ唐様かもしれない催し。唐様かもしれない催しを、日本語、大和言葉で日本人オンリーで、当時の都ではなく都から遠く離れた大宰府で開催したという故事の方が、個人的には食いつきポイント。

 

都からは遠く、筑紫歌壇とも呼ばれたそこは、中央集権国家の中枢とはまた別の場所。山上憶良大伴旅人歌人としてどちらも有名だけど、権勢を極めた権力者とは言い難い。遣唐使として当時の最先端国家である唐にも留学経験のある山上憶良は、社会性のある歌も残した人。

 

学識豊かで当時の最先端国家の国情にも通じていた人は、やっぱり現実を見る目も厳しくリアリスト。

 

季節や景色の美しさ、あるいは情愛といった美点よりも、欠点の方に先に気が付き欠点がより気になるのは現実によりこだわりのある人。現実によりこだわりがある人を現実から切り離し、浮世に遊べといってもうまくいくわけないのは、今も昔も変わりない。

 

浮世と親和性が高いとより古代に近くなり、現実と親和性が高いとより近代に近くなる。近代的視点を持った学識豊かな人を辺境に遊ばせたのは、余裕の裏返しかそれともイヤガラセか。

 

外国とのお付き合い。例えば遣隋使に遣唐使とのお付き合いが深まるほどに、日本古来の風習が薄れてゆくのは、氏族社会と決別したい律令国家にとっても福音だった反面、進み過ぎた近代的思考が煙たがられるのも、やっぱり今も昔もそう変わらない景色かも。

 

辺境の軍事的緊張が、中央には必ずしも正確に伝わらないのと一緒でさ。

先月食べたものの振り返り

新年度の始まりがお天気だと、なんだか幸先がいい。

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実は今日、新年度に撮ったものではないけどさ。

土の上をのぞいてほぼ雪は姿を消したけれど、緑萌えいずるあるいはしたたると言いたくなるような、緑でわっさわさな状態まではまだまだほど遠い。緑もなく雪もなければ、しばらくは殺風景。

 

列島各地から桜のたよりが聞こえてくることを思えば、日本、南北に長すぎ。

 

南北に長いから季節差を利用して、早く夏が訪れた地域の特産物を、夏の訪れが遅い地域へも回しという一種のエコサイクルも成立しやすい。そのエコサイクルを、もうちょっと南あるいは北へと拡大し、エコサイクル圏をちょっとずつ拡げながらだと、異文化襲来と過度に警戒されることもなく浸食できるのにね。

 

最終目的が共存だと、ちょっとずつ慣らして警戒されないようにするもの。最終目的が征服だと、物量にモノを言わせて圧倒しにかかる。異文化襲来で盛り上がるのは、結局は愛国心あるいは愛郷心愛国心愛郷心旺盛で真っ先に立ち上がって立ち向かってくるリーダーから順番に狙い撃ちすれば、長を失った集団はそのうち迷走し始める。

 

強いリーダーに率いられた集団が結局は脆いのは、カリスマのもとに集ったカリスマ頼りの衆は諸事カリスマ頼りだから、強いリーダーが居なくなったあとはなし崩し。ということなのかも。

 

月食べたものの振り返り。


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  • 牛肉のトマト・アスパラ炒め 
  • 大根と牛肉の煮物 
  • あなごの蒲焼き 
  • 煮込みハンバーグ、にんじんグラッセ添え 
  • 春菊とツナご飯、帆立のソテー 
  • 牡蠣と大根の炊き込みご飯
  • 春菊とツナご飯、豆腐こんにゃく 
  • 蕗とひき肉炒め、玉子焼き 
  • 蕗とひき肉炒めのパスタ
  • グリーンピース入りポークピラフ 
  • ドリア、ごぼうとツナのサラダ 
  • 煮豚と煮卵
  • 野菜入り煮込み蕎麦 
  • 鮭のマリネ、蒸しナスの和え物 
  • 春巻き 
  • おろし玉ねぎソースのステーキ、ポテトサラダ 
  • くずし豆腐、春雨とピーマンにんじんのきんぴら 
  • 五目豆と鶏の煮込み、小松菜のじゃこ和え 
  • オイルサーディンのパスタ 
  • ツナと塩こぶの炊き込みご飯
  • 豚肉のマーマレード焼き、キャロットラペ、干し柿クリームチーズ 
  • なめたけ豆腐丼 
  • 煮込みうどん 
  • きのこのペペロンチーノパスタ、豆腐ステーキ 
  • 厚揚げのいんろう煮 
  • おつまみプレート(ソーセージ、チーズ、アボカド、トマトマリネ、焼きカブ、サラダ)
  • チキン南蛮

 五目豆と鶏の煮込みを久しぶりに作り、豆の美味しさを噛みしめた。ポークビーンズもそのうち作ろう。乾燥豆に干し椎茸。戻すというひと手間さえ惜しまなければ、鮮度を気にしなくてもいいのが乾物類のいいところ。

 

乾燥させて保存という、世界各国で見られる昔ながらの知恵。基本は乾燥させるだけだから、めっちゃエコ。エコなんだけど、エコはだいたい大規模設備投資とは別物だから、大規模設備投資好きな人にはきっとウケない。

 

先月の収穫は、豚肉のマーマレード焼きの漬け汁で作ったソースにおろし玉ねぎで作ったステーキソース。ありふれた料理もソースを変えると、目先が変わって気持ちもフレッシュ。

 

また作りたいと思うレシピ、あるいはこれを食べれば元気百倍という、心の琴線に触れるレシピを探索する日々。美味しい食べ物はお手軽な気分転換アイテムで、もうダメだと地にめり込みそうな時でもわりと簡単に浮上できる。

 

お手軽で簡単なだけに、頼り過ぎると効果も薄くなってくるのが悩ましい。かといって手の込んだものにレベルアップすると、料理そのものに対する飽きも早くなり、かつ食材沼にもはまりそうで、それはそれでイヤかも。

大志のうつわ

税による再配分機能が衰えたら、かわりに起こるのは私的強奪でゆすりたかり。

 

これ買ってよ、買ってくれなかったらホニャララな。という押売りもどきもゆすりたかりの一種。ゆすりたかりにもはやりすたりがあって、特殊詐欺が今のトレンドでトレンドを仕掛けるトレンドセッターな人は、今も昔もメンツは変わってないのかも。

 

トレンドを仕掛ける側にいる人だから、案外見た目はトレンドに敏感でセンスもよくて、警戒のハードルを下げつつ押売りとも気付かれないように、何かを売りつけてるかもね。かもかも。

 

犯罪発生率が低いのは治安がいい証拠で、税による再配分もうまく回っている証拠。赤信号もみんなで渡れば怖くないという不法行為への同調圧力から、流されがちな人を守るためには分断して統治せよが正解。不法行為に対する心理的ハードルの低い集団からは、同調できない個人もとことん距離を置くに限る。

 

昨日読み上げた本に出てきたのは、腐敗選挙区ということば。17世紀から18世紀にかけて、植民地で本業の余得として私腹を肥やして財をなし、なした財産をもとに本国に帰還後すぐ、つまり地縁が薄い場所でも当選できた、有権者の少ない選挙区のことだとか。

 

植民地で本国とは桁の違う財産を築いた人が桁の違う財産にモノを言わせ、勝ちやすいところを選んで階級上昇を果たす。受験テクニックを駆使して有名高に合格するようなもので、たまったポイントのおかげでエコノミーからビジネスにアップグレードされたようなチープさがある。

 

その種のチープさを嫌う人が、わざわざ腐敗選挙区と名付けたとも考えられるけど、チープなものは壊れやすくて耐久性には乏しいから、嫌ったのも無理はないかも。

 

チープだったのに、壊れもせずに長持ちして役立ってくれたら評価はまた別だったかもね。

 

アメリカの初代大統領も独立宣言起草者として名高い三代目大統領も、プランテーション経営者階級出身で奴隷を抱えてたとか。

 

お金がないと独立戦争なんて戦えない。お金があるから独立してイギリスから自由になろうとするし、イギリスの敵対国であるフランスともお金がある階級の人だから話ができた。

 

その当時はそれが普通だったとはいえ、奴隷ありきの経営を経てもなお志高い人と、腐敗選挙区狙いでどこまでいってもチープな人と。本国からの独立も、言ってみれば階級上昇の一種。階級上昇に対する大志や大望は、ふさわしい器に宿るものなんだな、と。

 

プランテーション農場を現代にあてはめたら、人材派遣業がいちばんしっくりくる。人が集まらない人材派遣業者ほどピンハネ率も高そうで、ピンハネが酷くなるほどに劣悪プランテーション農場の奴隷労働にもよく似てくる。

 

Google八分Amazon八分。ごく少数による多数の支配が現実のものとなると、世の中全体も過去に先祖がえり。大昔のことのはずなのに、現代でもあるわこれと既視感ありまくりで、臨場感もあるから逆にイヤ。