クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

胃袋

高級なものからB級なものまで。その時々で流行る食べ物に違いはあっても、グルメ番組にグルメイベントはすたれずいつでも人気。あるいは大人気。

 

胃袋を掴むという言い方があるけれど、日本人の胃袋掴まれ過ぎで、胃袋を掴まれると弱い国民性もあからさま。高級なものは高級なりに、そうでないものはそうでないなりにピンからキリまで食のレベルが高いと、食への興味関心も増すからか。

 

あとは火を通すだけ、あらかじめセットされた調味料で味を付けるだけ。というお手軽な食事キットは、それならもうすっかり出来上がったものでいいじゃないと外野は思うけれど、胃袋を掴んでいるのは私。と、自己主張するにはそのひと手間が欠かせない。

 

ラストワンマイルみたいなもの。

 

調理済みですっかりできあがったものを温めるだけになると、各自のハラヘリどきに合わせ、勝手に食べ始めるようになるまであともう少し。家族が揃うのを待つまでもない。勝手に食べることが常態化すると、今度は各自が食べたいものを食べたいように買ってくるようになり、胃袋を掴んでいる相手はもう家族じゃなくなる。

 

そもそも食事の支度や世話は、家族以外の誰かにすっかりおまかせで、胃袋でつながってない家族ならともかく。

 

一般的にはまだ胃袋でつながっている家族の方が多数で、胃袋でつながることもなくなった時に、では何で繋がるのかというとその先はバラバラ。胃袋を掴まれると弱い国民性は、いつバラバラになってもおかしくない“みんな”を、かろうじて食がつないできたともいえる。

 

○○しなくてもヘーキで生きていけるものは多数あれど、食べなきゃ生きていけない。食べるものは十分にあっても、今自分の目の前に食べたいものがなく、入荷してくる食品の数が日々減っていくと、飢えへの恐怖も増す。

 

着倒れに食い倒れに履き倒れ。それぞれ京都に大阪、神戸人の気質を表していて、道楽も過ぎると堕落する。

 

道楽が過ぎるほどに何かにのめり込み過ぎると、必要以上、あるいは分相応以上にあれもこれもと欲しくなり、節制できないと破滅する。はたから見れば、一体何が面白いんだか???と思われるような、淡白な態度で道楽は道楽として親しんでいると、堕落もせずに長続きしやすい。暇な時間をどう過ごすのか。堕落せずに暇は暇として楽しむ態度には、これ以上ないほど各人の性格が現れる。

 

気持ちよく晴れていたけれど、空気はまだまだ冷たく手袋が手放せない。薄手の春用だけど。手袋が不要になった時は、本当に春が来たとき。