クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ネットワークビジネスにハマる男性を描いた『ニューカルマ』を読んだ

フィクションの醍醐味のひとつに、“果てを可視化した姿”があると思ってる。

 ありふれた独身サラリーマンが、ネットワークビジネスに絡み取られていく姿を描いた『ニューカルマ』。マルチにハマった男の成れの果てが垣間見れて、好奇心を満足させてくれる。同時に、なぜ人は美味しい話に弱いのかを考える、いい教材でもあった。リーダビリティある文章で、あっという間に読めてしまった。3000字あって長~いので、連休でお暇な人へのプレゼント。

 大手電機メーカーの関連会社に勤務するユウキ。かねてから噂されていたリストラが実施され、将来に不安を募らせる中、救いを求めた先はネットワークビジネスの世界だった。成功と転落、失ってしまった仕事と友人・・・・・・。あげく、ユウキが選び取った道とは- (本の帯より引用)

 

 “給料とは別に、百万円入ってきたらいいと思いませんか”というキャッチコピーに即座に肯ける人も無視できる人も。どちらが読んでもきっと楽しめる。ネットワークビジネスの、いい面も悪い面も描かれているから。

ニューカルマ

ニューカルマ

 

 ネットワークビジネスとは、不動産収入のような不労所得を得る働き方。子飼いの手下が商品を売ればキックバックが入るようになっていて、手下が増えるとともに、自己収入も増える仕組み。だから彼らは手下、仲間を集めようとする。数が力で不労所得の源泉だから。

 

主人公のユウキは、喉から手が出るほどお金を欲してる、困窮してる人じゃなかった。はじめはネットワークビジネスに懐疑的で胡散臭いと思っている人でも、「きっかけ」があればハマってしまう怖さが描かれている。

 

それなりの給料をもらっていて、独身貴族を謳歌していたユウキの転落のきっかけはリストラ。絵に描いたように転落の人生を歩む、職場の先輩の姿がユウキの不安を後押しする。

 

給料が保障されてる生活だと月100万円の副収入は過剰に思えても、給料が保障されなくなったら話は別。先が見えない、1ヶ月先には収入ゼロ円になる不安は、人の生き方をたやすく変える。たいていは悪い方向へ。

 

そして、ユウキを思いがけない生き方へと誘う、もうひとつのきっかけは「ことば」。大勢の前でカッコつけて言ってしまったことばがユウキを縛り、その気はなかったはずのユウキ自身もその気にさせてしまう。瓢箪から駒じゃないけれど、責任の取れないことばは口に出すもんじゃない。大勢の前でもNO!と言える勇気、大事ね。

 

最初はロクに勧誘もできなかったユウキが、スラスラとセールストークを繰り出すまでになる。その変わりっぷりがこの小説の読ませどころのひとつで、スラスラとことばを操る代わりに彼は何を捨てたのか。内心を忖度しながら読むと、より味わい深くていい。

 

ユウキが変わることで、切れていく縁と、新しくつながっていく縁と。ネットワークビジネスにハマることは、否応なく環境を変えてしまうことがよくわかる。

 

単に堕ちていくだけでなく、離れられなくなるところを描いているから、ストーリーにも奥行きあり。いったん体で覚えた快楽からは離れがたく、体に染み込んだ苦痛は、社会復帰を阻害する。ブラック企業で苦痛に耐えて働くのか、勤務形態はホワイトだけど、グレーゾーンで働くのか。なぜ選択肢がそんなにも極端なのか。ネットワークビジネスにハマると、視野を狭めてしまう。恐いね。

 

だけどネットワークビジネスは、他方では行き場のない人の受け皿にもなっていて、大金を稼いだ人や企業は、社会貢献や社会福祉にも大金使ってる。

 

じゃあ出口に社会貢献があれば、グレーな仕事でも許されるのか。雇用の維持に役立ち、社会に居場所がない人に居場所を提供しているから存在価値があるとするならば、ゾンビ企業もそれはいっしょ。何が違うのかよくわからなくなってくる。

 

切実に職を、生きる糧を求めている人に必要なのは職業教育で、“みんなでいっしょにがんばろう”な居場所じゃない。

 

ネットワークビジネスとネット社会は相性良しで、地縁・血縁を喰らいつくした人でもネット縁に頼れるのが、ネット社会。危険度マシマシ。

 

生きていればネットワークビジネスに勧誘されることも一度や二度はあるわけで、私は今までに二度勧誘されたことがある。今では駅前の一等地に実店舗を構えるまでに成長した某外資系企業から。勧誘してきたのは、女友達。

 

20代後半の頃、彼氏がいない女友だちが「会って欲しい人がいる」と言い出し「えっいい話(めでたい話)なの!?」「うん」という流れで友だちの彼氏に会うつもりで出掛けて行ったら、待っていたのは勧誘だった。彼らはまず異性をたらしこむ。

 

勧誘してきたのは、合コンに居たらまず間違いなく連絡先聞かれそうな、感じのいい男性二人。ついでに高学歴で、お二人ともそれはスバラシイ!と思う大企業勤務と元大企業勤務の人だった。あの手のネットワークビジネスにはランクがあるみたいだけど、上の方の人でした。特に専業でやってる人は、ご褒美の海外研修旅行にも頻繁に行ってたらしい(本人談)。

 

2時間くらい彼らが拠点とするマンションの一室で、「僕らといっしょにやろう!!!」と熱く説得された。大変不快な思い出。

 

彼らが目をつけるのは

・感じのいい容姿

・学歴や職歴もいい感じやお固くて社会的信用度も高い職業

・大勢の前でも物怖じしない性格の

人たらしな人物。優秀な営業パーソンは、商品の魅力ではなくその人の魅力で何でも売るから重宝される。

 

リッチな生活が待ってるとか、スバラシイ経験ができるとか、そりゃもういいことばっかり散々吹き込まれて、しつこく勧誘された。なのにまったく心が動かなかったのは、高い倫理観があったからでも何でもなく、その頃口説かれてたボンボンのプロポーズにYESと答えてたら、そのくらいの贅沢ならわりかし簡単に手に入ったから。なのに、何でそんなメンドクサイことしなきゃなんないのよと思って、魔の手に落ちなくて済んだ。その気のない人間を勧誘してくるんだから、主観的には魔の手。

 

感じ悪いのは承知してるけど、真実なんてそんなもの。他に選択肢のある人間は、極端な生き方は選ばない。

 

だいたい金持ち過ぎる人との結婚がイヤ(ついでに嫁姑で揉めたらきっと母親を取る人だったのも見逃せないポイント)で、玉の輿にも乗らなかった人間にとって、リッチな生活は何の餌にもならない。むしろ害悪。

 

お金さえあれば、たいていの問題からは解放される。お金があっても解決できない、どうにもならない問題の方が、業が深くてどうしようもない。お金では買えないステータスをすでに手に入れている人は、成り上がり者にはどこまでも冷たい一面がある。そんな視線に四六時中晒されてるの、地獄よ?

 

ネットワークビジネスは、地縁・血縁を破壊する。個人のセーフティネットである地縁・血縁を破壊するから、何かあった時に頼りになるのは、お金だけになってしまう。お金は一見万能だけど、交換できなかったら何の意味もない。お金で買えないものを持ってる人の方が、いざという時には強い。

 

地縁・血縁を頼れなくなった人が、ネット縁を頼れるのがネット社会。個人のセーフティネットが広がったいい面もあるけれど、ネット縁からさえ追放された人は、果たしてどうなるのか。

 

「縁」が限りなく広がりそうなネット社会、SNSが幅をきかす今だからこそ、読んでおくといいかも。生き方や働き方を見つめる処方箋にもなる。

 

関連書籍としてかつて読んだこの本を思い出した。

仮想儀礼〈上〉 (新潮文庫)

仮想儀礼〈上〉 (新潮文庫)

 
仮想儀礼〈下〉 (新潮文庫)

仮想儀礼〈下〉 (新潮文庫)

 

 ネットワークビジネスの拡がり方と、新興宗教の拡がり方はよく似ている。

 

 派生してこっちも。

その商品は人を幸せにするか ソーシャルプロダクツのすべて

その商品は人を幸せにするか ソーシャルプロダクツのすべて

 

 今読んでる小難しい本を読み終わったら、次の課題図書にする予定。社会にとって良いビジネスとは何かを、考えるヒントになりそうだから。

 

お休みなさーい。良い週末を。