クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

深窓は遠くなりけり

正義のヒーロー・ヒロインが生身の人間である限り、食べなきゃ生きていけない。正義のために働きます。ただし正義が為されたあとには、遅滞なく請求書通りの支払いもよろしく。

 

と、事前見積りなしで正義の執行をお願いしたらべらぼうな請求書が届き、払えなきゃ体で払えとばかりに、終わりの見えない御礼奉公に従事させられてます。という事例がひとつでもあると、うっかり正義の執行もお願いできやしない。

 

自称正義の味方が往々にして信用できないのは、お金の流れがブラックボックスだから。費用とついでに費用対効果も明瞭で透明性が確保されていると、何ごとにおいても安心だけど、そうなるともう単なるビジネス。単なるビジネスとなったらビジネスマナーが優先され、ビジネス上の作法から遠くなるほどに後回しあるいは疎遠となるのも必然。

 

市民革命あるいは産業革命後に生まれた、80日間世界一周のフォッグ氏やモンテクリスト伯エドモン・ダンテス。どちらも、彼らなりの正義を彼らなりのやり方で貫いた物語の主人公だけど、そのどちらも伴侶として選んだ女性は市民革命とも産業革命とも縁が薄げな、オリエンタルあるいはエキゾチックな土地出身の深窓のご令嬢。

 

市民革命あるいは産業革命で意識改革が進んだ地では、紳士でヒーロー気質な男性がそばに置きたいと思うような深窓のご令嬢はもう見つけられなかったという故事に由来するのかも。と想像するのは楽し。

 

深窓のご令嬢がその出自を生かしてビジネスに進出するのが、近代資本主義社会。資本主義化が進む都市では、深窓のご令嬢やご令息が深窓のまま引っ込んでられる場所も大してなし。深窓のまま引っ込んでられる場所がなかったら、めざすはオリエンタルあるいはエキゾチックな場所で、オリエンタルあるいはエキゾチックな場所は、だいたい近代からは遠いから、今はもう見つからないものがそのまま残されている。

 

都市から離れ、はるばるたどり着いた場所なら深窓のままでいられたはずが、すっかりその予定も狂ってしまったら、妙案が見つかるまでは予定外に合わせるしかない。

 

数が増えると秩序はなし崩し。

 

今ある秩序をなし崩しにするために、計画的に数を増やしてきたしたたかな相手には、相手以上にしたたかになるしかない。したたかと深窓のご令嬢ご令息は両立しないから、だいたい深窓のご令嬢やご令息が数を減らしていく。

 

数が少なく希少になったものは、たいていは珍重される。深窓のご令嬢ご令息が珍重されるのなら、それだけ数が減ったということで、大衆化が嬉しい人にはよい兆候。大衆化が面白くない人には、よくない兆候なんだけどさ。