エルヴィス・プレスリーを描いたバズ・ラーマン監督の映画『エルヴィス』を見たあと、記憶に残ったのはその事実。
リサ・マリー・プレスリーがマイケル・ジャクソンと結婚した時、天文学的成功を収めたミュージシャンとやっぱり天文学的成功を収めたミュージシャンの家族という共通点以外共通する点はなさそうで意外に思った。
だけど、音楽的来歴を振り返った時彼らの結びつきは深く、深いところで繋がった彼らが結ばれることは、来歴を知るものにとっては意外でも何でもなかったのかも。
JFKにキング牧師にロバート・ケネディ。プレスリーが活躍した時代の有名人といえばそういったメンバーで、キューバ危機もあればウォーターゲート事件にニクソンショック(金とドルとの交換停止、変動相場制へ移行)もあった。
映画では深く触れられていないけれど、そういう時代に一世を風靡したミュージシャンで、曲だけでなくステージ上のファッションやスタイルも長命で有名になった人。
ステージ上でのファッションや振る舞いが不品行であっても、そもそもは“貧しくとも楽しい我が家”出身の、愛情を注がれて育った好青年。よき家庭人・よき社会人という型を知っていて馴染んでいたから、型を破ったファッションや振る舞いがどういうものかわかっている。
ステージ上でのプレスリーにまず最初に熱狂したのは若い女性たち。よき妻・よき母という型からまだ遠く、新しい女性という型こそ自分の型だと思うから、不品行という型を共に披露できる相手としてプレスリーに熱狂する。
よき妻・よき母の予備軍である若い女性たちを型から逸脱させるから、よき妻・よき母という型を量産する側からは疎まれる。
時代はキューバ危機を頂点に米ソ冷戦が緊迫し、公民権運動が盛り上がってアメリカが揺れていた頃。
戦争は、お金がないと続かないし続けられない。
プレスリーの曲やスタイルは海を越えて極東のアジアにまで届いていた。単に届くだけでなく日本でもその影響は強く、見方を変えれば“強力なドル建て商品”だったということもできる。
国内だけでなく海外でも売れる。それはつまり外貨を稼ぐことのできるアーティストという商品のブランド戦略や売り方に、アーティスト個人の意思が反映される前で価格交渉力を持つ以前。
ただがむしゃらに働かされ続け稼ぐよう強いられた、アーティストの人生をエンターテイメントとして作品にできるのはその死後。じゃないと、後味が悪いから。
Tシャツにジーンズといった、いかにもアメリカンなファッションでもなければ爽やかでもない。だけど全身全霊で観客やファンのために神に捧げるかのようにステージ上で歌う姿はとてもアメリカ的。
お客様あるいはファンは神様だと思っていると、ああいうステージになるんだと思った。
“貧しくとも楽しい我が家”出身で、よき家庭人・よき社会人でありたいと願う本来は善良な人に、善良ではない生き方を強いると精神的に不安定になりやすくドラッグなどに依存しやすくなる。
社会人・家庭人としては型破り。その反動あるいは埋め合わせとして、アーティスト・エンターテイナーとしてはお手本にしかならないほど全身全霊で観客やファンのために捧げ尽くした時、そのアーティストは早死にする。
よき家庭人ではいられなかった。その代わり、ファンにとってはよきアーティストでエンターテイナーとして捧げ尽くした。妻に対しては不実でも娘に対しては最後まで誠実で、娘の前ではエルヴィス・プレスリーではなくエルヴィス・アーロン・プレスリー本来の姿に戻れたんだろう。
モノには感情がないけれど、人には感情がある。
エルヴィス・アーロン・プレスリーをエルヴィス・プレスリーという商品、モノとして広く海外まで売ろうとした時、長命を保つか短命に終わるかは感情をどう扱うかで決まるんだとも思った。
アーティストにミュージシャンにエンターテイナー。呼び方はいろいろあるけれど、ロングセラーとして長く活躍している人はきっと、感情の落としどころがクリアーで始末がついているから売る方も売られる方も気持ちよく商売ができ、だから長命なんだろう。
権利関係がクリアーでアーティストにとっても納得のいくものであれば、ヒトがモノになっても滞りなく流通し、関係者各位にとって幸福な関係が生まれやすくなって続きやすくなる。そういうことなんだと思った。
(気持ちよく晴れ渡った冬の空)
名前と顔と作品。どれ一つ欠けることなく次世代に繋げないと、伝説的なアーティストの伝説は本当の伝説にはならず、レジェンドが虚構になる。